| 《内容ガイド》 |
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- 山本真理子さん、当時18歳。その光を見たのは、打越町の自宅でした。
- 姉と2人で朝食を食べようとしていました。その時、何かが光ったと思った次の瞬間には、家が崩れ落ちていました。
- 家の下敷きになりましたが、姉妹で助け合って避難し、太田川の河原で黒い雨に打たれました。
- 6日の朝は、姉と朝食を食べようとして、2人で向かい合って座っていました。
- すると、私の左側の窓が光りました。それまでは、姉と冗談ばかり言って、なかなか食べられなかったのです。
- 突然、光ったので、何だろうと思い、窓を見ました。すると光がはじけたようでしたが、よく分からないのです。
- その光を見ている間に、たちまち目が見えなくなって、真っ暗になりました。耳もまったく、聞こえなくなりました。
- 気がつくと、瓦に埋まっていて、首だけが出ていました。
- 上からは瓦が私に集中して落ちてくるような気がしました。たくさん落ちてくるのです。
- 瓦が落ちてきて私に当たると、ピューッと血が飛びました。血圧で、血が上がっていたのでしょう。
- 一瞬ですが、血が飛ぶのです。気がつくと、血のシャワーを浴びているようでした。
- すると、姉が私の名前を呼んでいました。それが聞こえたので、その時に耳が回復したようです。
- ピカドンと言って、ピカッと光った後、ドーンという音がしたと言いますが、音は聞いていません。ピカッという光だけは見ました。
- 姉は背中に土を背負って、四つんばいになってきました。私が首から下が瓦に埋まっているのを見ると泣きました。
- 真理ちゃんが埋まっている、どうしようと、私の周りをはって回るので、私はここよ、大丈夫と、一生懸命、姉に言いました。
- 早く瓦を取ってと言っても、姉は泣きました。姉の顔には砂がついていました。家は木造で、潰れてしまうと土だらけでした。
- 姉も土だらけの顔に、涙を流して、一生懸命、私を埋めている瓦を取ってくれました。だいぶ経ってから、出ることができました。
- さっき光を見た窓が斜めになっていました。そこから出ると、庭に井戸がありました。
- 当時は消火のために、たいていの家には井戸がありました。井戸のポンプをくみながら、自分の顔を洗いました。
- 顔を洗わないと、目に血が入るので、見るものすべて真っ赤に見えました。それがつらいので、顔を一生懸命洗いました。
- すると、隣のおばさんが来て、顔を洗わしてと言うので、私が水をくんであげました。おばさんを見ると、目が飛び出て、ぶら下がっていました。
- それを見た時は驚きました。血の筋が通っている目玉2つが、ぶら下がっているのです。
- おばさんは私に色々と話しかけてきましたが、おばさんの目を見た途端、水をくむのをやめて、急いで家の中へ入りました。
- 姉は救急袋がどこへ飛んで行ったのか分からないので、一生懸命探して、見つけてくれました。
- 私の頭に瓦が落ちたので、縦に切れた箇所を、姉が包帯や三角巾をしてくれたので安心しました。縛ると血は止まるのです。
- 今度は姉もけがしていると言って、その場に座ってしまいました。どこをけがしたのか見ると、足でした。
- 足の肉が10から15センチぐらいパカッとあいていました。ハムをスライスしたように、周りは脂肪が白くついていて、中がピンクでした。
- それを見てびっくりして、さっきは姉が慌てていましたが、今度は私が「どうしよう、どうしよう」と、姉の周りをウロウロしました。
- 血が流れていても、どうしたらいいのか分からず困っていましたが、姉がやってくれたことを自分もすればいいのだと気づきました。
- 止血用のひもを探してくくりました。ですが、まったく血が止まらず、どんどん流れるのです。
- 姉の顔は真っ白で唇も真っ白でした。姉が死ぬのではないかと思って慌てました。
- 姉は死ぬかもしれないと思いましたが、こんなところで死なせてはいけないと思い直し、姉を担いで窓から外へ出ました。
- ご近所では斜めに潰れた家もありました。そんな中を、近所のおじさんが裸で歩いていたので、どうして裸なのだろうと不思議に思いました。
- 次から次に出会う人が裸でした。上から焼けた皮膚がぶら下がって、手袋をしているようでした。
- 手を下ろすと血が下がって痛いのでしょう。どこへ行けば助かるか分からないので、みんな、うろうろとしていました。
- 私は姉を担いでいるから、何もしてあげられない。土手へ逃げようと思いました。
- 太田川の支流へ上がろうとすると、潰れた家のあいだから手を出しているのが見えました。
- その家のおばさんは知っている人でしたが、私は姉を助ける方が先でした。
- おばさんを助けることができませんでした。姉は重く、首へしがみついていたので、息もできないほどでした。
- そして、土手まで上がりました。土手の上では、私たちの傷なんて何ともありませんでした。
- 手足のちぎれた人、出てくる内臓を押さえている人、オッパイがぶら下がりちぎれている人、耳がぶら下がっている人、すごい人ばかりでした。
- 障子の桟が背中へ突き刺さったままの人もいました。
- 河原では中学生が全身焼かれて悲惨でした。帽子をかぶっていたのか、頭の上の方は髪がありました。
- 帽子から下はズルズルで鼻も目も口も分からないのです。そんなやけどをした中学生がたくさん転がっていました。
- 黒い雨が降ってきました。初めは大粒で真っ黒でした。その雨が姉の着ている白いブラウスに水玉のように付きました。
- この雨で街の火も消えると喜んでいる人もいましたし、のどが渇いた人は口を開けて飲んでいました。
- 当時、横川の駅のそばに私たちの家がありました。横川のあたりが、あの日一番、雨が降ったのです。
- 南の方は雨も降らず日天だったそうです。江波や宇品では雨が降ったことすら知らないそうです。
- 私たちがいた場所へ集中的に降ったようです。何時間も降ったと思います。姉と一緒に松原の中へ逃げました。
- 松原ではまったく雨が防げず、びっしょり濡れました。この黒い雨が放射能をたくさん含んでいて、私たちに後々まで災害をもたらしました。
- その晩は隣組の人たちが呼びにきてくれました。組長さんの家にある竹やぶを切って、蚊帳をつって野宿をしました。
- その晩、私たちの蚊帳から一歩外へ出ると、人がたくさん死んでいました。
- 一晩中、痛さと悲しさで泣いている人たちの声が聞こえました。泣いていたのは中学生だと思います。
- それから3日後、疎開先の安村から、母が大八車を持って迎えにきてくれました。母は弟2人と田舎に疎開していました。
- 母は6日に探しにきてくれましたが、入れてもらえなかったそうです。警防団の人が周りに綱を張り、入ってはいけないと言ったそうです。
- 母もその時ばかりは警防団の人とやり合ったそうですが、入れてもらえなかったので、3日後に来てくれたのです。
- 自分の顔を見ると、紫色に腫れ上がって、ものすごい顔でした。お岩さんのような部分的なものではありません。
- 全体が紫色で縦に筋が割れ、一部、化膿していました。ママレードを塗ったような感じでした。一生こんな顔なのかと思い情けなくなりました。
- それから、下痢になりました。血便なのです。熱が40度ほど出てつらかったです。
- 体中がだるくて、生きている必要がないと思いました。母は一生懸命、私のために色々なものを、こしらえてくれました。
- 山を一つ越えたところに、ヤギを飼っているおうちがありました。わざわざそこまで行って、ヤギの乳をもらってきてくれたりしました。
- 私はそんなものは食べたくない、私は死ぬのだと心に決めて何も食べませんでした。母はとても心配していました。
- おきゅうやはりへ連れていってくれたりしましたが、そんなものはもういい、私はこれで死ぬと思っていました。
- しばらく熱は下がりませんでしたが、15日ぐらい経つと、だいぶ良くなりました。15日にあった終戦を知らせる玉音放送は聞いていません。
- 父は軍人だったので、その時は北海道へ転勤していました。これからどうなるのかと思い、司令部へ行きました。
- 16日だったと思いますが、行ってみると、6日当日、そこにいた人は全滅でした。
- 私と一緒に遺骨のお世話した人たちも亡くなってしまい、私もここに来ていたら死んでいたと、改めて思いました。
- 司令部から帰ると、また熱が出ました。その時に二次放射能を受けたのでしょう、うわ言を言っていたそうです。
- 姉も同じように下痢をして、高熱が出て大変でしたが、私より元気でした。私は司令部へ行ったりしたので、だんだん悪くなってしまいました。
- 姉が先に和歌山へ帰りました。軍医さんが和歌山に里があるなら広島に長くいることはない、早く帰りなさいと言ってくれました。
- 皆、血を吐いて、ものすごく苦しんで、わけの分からない亡くなり方をしました。
- 耳からも目からも、穴という穴から血が出てくるのです。こういった状態で、しばしば出血して亡くなるのです。
- だから、こんなところに長いこといてはいけない、早く帰りなさいと言われ、翌年の2月か3月に和歌山へ帰りました。
- 命を大事にしてほしいです。「命は何よりも大切」と子どもたちに話しています。
- 命が本当に大事なら、戦争なんてしてはいけないのです。たった一度、この世に生まれてくるのだから
- 一人ひとり、十分に生きてほしいです。どこの国とは言わず、日本だけではありません。人間みんながそうなってほしいです。
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