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被爆体験について 
森田 英雄(もりた ひでお) 
性別 男性  被爆時年齢 27歳 
被爆地(被爆区分) 長崎(直接被爆)  執筆年 1995年 
被爆場所 高射砲第134連隊(西部[彗]第8064部隊) 本部(長崎市南山手町[現:長崎市南山手町]) 
被爆時職業 軍人・軍属 
被爆時所属 第2軍第16方面軍高射第4師団高射砲第134連隊(彗第8064部隊) 
所蔵館 国立広島原爆死没者追悼平和祈念館 
ピカードガン。何んだろう兵舎より飛び出した途端私は約一メートル余り吹っ飛び壁に叩きつけられ煮湯を頭からぶっかけられたように思わず熱い熱いと叫んだ。頭を打った為か段々と気が遠くなりああ俺もこれで終りかと思った時班長殿班長殿と呼ぶ部下の声にはっと我に返へり防空壕へ飛び込んだ。どの位たったか様子を見に壕より出てみたら兵舎は半壊。今迄建物で見へなかった町がまるでブルドーザで押しつぶされたやうに無茶苦茶。あちこちより火の手が上り私は一瞬目を擦り擦り何回も見ました。その内に何人ともいへぬ叫び声が聞へてきた。これは大変。唯々呆然と立ちすくんだ。軍医より命令。森田軍曹は兵四名をつれ直ちに金比良山(第四中隊)に救護の為急行せよと命令を受け原爆投下約一時間後金比良山に到着。直ちに救護活動に入る。それから約三日間食料も原爆でやられ不眠不休医薬品不足の為治療の仕様がないので水事場より天ぷら油を持ってきて刷毛で塗りガーゼを上からぺたぺたとはるだけ。滅菌も消毒もあったものではない。我ながら疲労の限界に達するもどうしようもない。それから無我夢中、中の島に診療所開設三菱兵器廠等で救護に全力を尽くす。何万の死傷者目玉が飛びだし腐れた体に蛆虫が涌き目に染みる臭いが鼻を突き近くで断末の叫び、この世の出来ごととは思へない悲惨な光景は私には表現することはできない。

日が経つにつれ真夏の太陽下四〇度に近い暑さに生ながら腐り死んでいく最後の言葉は兵隊さん水、水、水。 

腐れた死体を小学校の運動場で積み上げ油をかけ焼く放心したやうな父親が焼けない死体を棒でつつきながら兵隊さん小学校一年の子供ですよ。私は何もいへず・・・唯々手を拝すだけ。夜になって片手が折れブラリと下った腕を持ち我慢して泣かなかった子が母恋しくなったのかしくしくと小さな声ですすりなく声に私はどうすることも出来ない自分に情けない憤りを感じた。私の目と耳は永久に忘れないだろう。

戦争は何んの得するものはない。戦後五〇年経っても未だ苦しんでいられる被爆者の皆さん頑張りませう。

復員後三年間余り入院現在も通院中(柳原病院)

長崎西部八〇六四高射砲部隊衛生軍曹 森田英雄
  

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