●昭和二十年八月六日(月)晴
「昨夜は起されずにすんでよかつたの」「お蔭でよく眠りましたよ」「広島は空襲しないそうですね」……。久振に朗かな話声が聞えて来る。
障子を明けて見ると空は限なく晴れ亘つて今日も上天気らしい。これで空襲さへ無ければと思いつゝ屋根まで這上つた南瓜の芽を摘む。朝の食事も楽しく戴き、二人の姉妹は何時もの通り元気よく学徒動員として出て行く。「行つて帰り」の声に驚いて飛んで来た三歳の真智子、頭をちょこんと下げて微笑する愛らしさ。妻と共に頭を撫でゝやると如何にも満足そうにじつと見送つてくれる。鷹野橋停留場で電車を待つ、仲々来ない、伸上る様にして宇品方面を凝視する人々の眼にも焦燥の色が見える。時計を見るともう八時も迫つて居る。待つこと十分許り、走る様にして飛乗り刻々と進む針のみ見つめる。
駅前終点につくと八時六分発上り列車が待つている。遅れてはとひた走に改札口を通り抜けて地下道の中央に差しかかつた一刹那、ピカッと一閃ごーと爆音轟き渡る。やつたなあとあたりを見ると濛々と立ち篭めた砂煙で寸尺も弁じない程だ。危険だ逃げようと左手で眼を被ひ右手で探りつゝやつと改札口へ出る。汽車は不通だ。事務所へは行かれぬ、家へ帰らうとホームを出ると数分前までかんかん照り輝いて居た街は陰雲に閉ざされて薄暮の世界と化して居る。怪しな事だ。幾個爆弾を落したのだらうかと不安と恐怖の念を抱きつゝ電車通を見ると、家は崩れ電車自動車電柱も殆ど横倒になり電線は道一杯に散乱して全く倒壊の町だ。比治山橋辺まで出ると、来るは来るは。破れシャツ、破れモンペイ、頭髪かき乱した人、鮮血滴る人、乳呑子抱えてよろめきつゝ行く母親、手を引きて走る娘、右往左往、逃げ迷ふ老若男女、親は子を、子は親を、夫は妻を、妻は夫の名を呼びつゝ狂人の様に走りゆく人の群、さながら此世ながらの生地獄である。
不図見上げると空は黄褐色を帯びた入道雲がむくむくと立上り空一面に拡がらんとして居る。急に風は強くなり、異様な雨さへ降つて来る。紙屋町から家へ向はんとすると、火災は随所に起つて黒煙濛々と物凄く、制止する警官の声に比治山下の電車道へ出る。「助けて呉れ」の声もするが誰一人耳を傾ける様子もない。倒れかゝつた家屋や電柱、足にからむ電線をまたげ、渦巻く黒煙をさけつゝ鶴見橋まで行く。強制疎開で広い空地になつた此の一帯なら大丈夫だらうと居合はせた人と共に進んだが、烈風に火の粉が飛散して危険此上もない。西方我家の方を眺めるとすつかり火煙に包まれて居る。
臥虎山麓の家々は次々と焼かれてゆき、異様の響と共に倒れては火焔は天に沖するばかりだ。何処からともなく集り来る人々と共に防空頭巾を水に浸しては火の粉を防ぐ。住宅工場学校等聳立(しょうりつ)する大廈高楼も次第に消えて視野は益々拡まり市役所、日赤、中配等の鉄筋建築物のみ手に取る様に見える。此分なら大手町一帯も屹度(きっと)灰燼に帰してしまつたゞらう。駄目だ駄目だと半ば観念しつゝも尚家の事、家族の事が懸念されてならぬ。約二時間も待避して居る中、漸く風も軟ぎ火事も遠ざかつたので電車通へ出て見ようと決した。崩れかゝる家、横倒れの電車自動車を避けつゝ市役所辺まで来てみると我家の方は盛に燃え続けて近寄れそうにもない。
搬送電に勤務して居た長女の安否を知るべく訪ねて見ると、家屋は殆ど倒壊して人の影は見えぬ。千田町郵便局分室勤務の次女の様子も分らぬといふ。若しや負傷して日赤病院へ収容されては居まいかと混雑の院内外を探しても見当らない。患者は次第に数を増して来る。頭を腕を脚を傷つける人、母を、子を、苦痛を、水を、…求めるもの、訴へる者、叫ぶ者、わめく者。其の惨状は到底筆舌の能く尽す所ではない。火災は依然としておさまりそうにもない、運良ければ疎開先へ帰つて居るかも知れぬから一応奥海田へ帰らうと東へ急ぐ。幾台となく続くトラツクは避難する人の山、誰を見ても悲愴な顔だ。海田市で下車してとぼとぼ歩いて帰宅したがまだ誰も帰つて居ない「疲れたらうから明朝にしたら」と言はれるのを、じつとして居られないので食後再び広島へ向つた。
まだ帰らない所を見ると或は死去したのではあるまいか、否屹度生きて居る。あの元気な体だから、動員で出て居た二人は?どうか生きて居て呉れゝば等思は次から次へと走つて不安と焦燥に駆り立てられる。九十九橋辺を過ぐる頃不図次女に会ふ「おゝよく帰つた、怪我は無かつたか」「お母さんは」と青ざめた顔して倒れかゝらんとする体を抱きとめて暫し無言の涙の頬を伝はるばかりだ。母や姉妹を探しに行くから帰宅して休息して居る様にと慰めて別れ、独り新国道へ出る。トラツクに便乗して、要所々々の警防団員の立哨に感謝しつゝ市内に入ると、火災は尚盛に続いて居る。我家近くの火勢は稍々(やや)衰へたが熱くて近寄れない。町内の避難地は佐伯郡観音村だと聞いて居るので、其れを尋ねて見ようと、火焔に照されて僅(わずか)に明るい消灯の街を歩いて己斐町まで辿りつく。家々には殆ど人影は見えず通行人に道を尋ねてもよく分らぬ。漸く見付けた一家人の言によるとまだこれから二里余もあるとの事。これは駄目だと足の疲も忘れて引返す。我家近くは相変らず燃えて近寄れない。止むなく住吉神社の境内に入りて一夜を明かさんと傍の石に腰かけて暫く思案に耽ける。社殿の屋根は飛び柱は倒れ、松の大樹は地上に横はり元の面影は全く失はれて居る。「神国日本も科学の力には勝てないのか、それとも神が見捨て給ふたのか世は末だ」……悲観の後から「否此位の事で負けてなるものか、戦は是からだ、最后の一人になる迄■はう、仮全家族が死んでもお国のためだと思へば歎くことはない」と思返す。「然し可愛相だ、非戦闘員たる婦人や無心の子供を犠牲にする事は忍びない、生きよ活きよ。殺してなるものか、屹度生きて居る……」心は千々に砕けて思は次々と走つて止る所を知らない。不図顔を上げると隣人が板を集めて囲をして居る。聞けば此所で野宿するとの事、奨められる儘に三人で寝床と屋根を造つて板の上に体を横へる。既に傍に寝転んで居る人がある。暗夜でよくは見えぬが死体らしい。不気味とも淋しいとも思はず唯家族の安泰を念じつゝ仮寝の夢を結ぶ。
●八月七日(火)晴
かすかに白みゆく東空を仰ぎつゝ起出で、噴出せる水に洗面して家の様子を見んものと明治橋まで来ると負傷者が横はつて道も通れぬばかりだ。呻く声、水を求むる声、人を呼ぶ声が彼方此方から聞こえて来る。若しや此の中に妻や子供は居ないかと名を呼びつゝ尋ねるが応へるものはない。幾百となく倒れて居る患者の間を、真白い薬を塗りゆく医者の懇切にいたわる姿は神の如く貴く、我事の様に嬉しく勿体ない気がする。
橋を渡つて大手町筋へ出ようとすると不意に「主事さん」と呼ぶ声がする。見ると某校々長だ。「其の人は誰方」「私の長男です、動員で県庁の辺に居たのを此所まで連れて来ました。まあ見てやつて下さい」。顔面腫れ上つて能くも分つた事だ。不思議に想はれる位の変り果てた愛児に寄り添うて思案に暮れて居られる様子。「どうぞ気をつけて上げて下さい」と言ひ残して小路に向ふ。
焼け崩れた家で路は塞がれて居る。川岸に出ると干潮時の川原には無数の患者や死体が数十米も横はつて居る。吾が児吾が妻はと探し步いたが、相変らず見つからないで、唯助を求め水を求むる声のみ聞えて来る。「水を下さい、水を下さい」と哀れな声、「水を飲んだら死にますよ」「死んでもよいからどうぞ一杯だけ」。悲痛の叫を上げて頼まれるので、やむなく水筒の水を口に注いで上げると「有難う」と伏し拝まれる姿を見るにつけても、愛児や愛妻も斯うして居るのではないかと他人事とは思れない。
土手に上ると向から髪ふり乱し弊衣を纏つた婦人がよろめく様にしてやつて来る。隣組の某氏の奥さんだ。「奥さんはどうされましたか」と反問される所を見ると此人も知らぬらしい。「何分家が倒れ火が早く廻りましたのでどうする事も出来ず逃出しました」と当時の模様を概略説明して呉れる。町は焼け尽されたがまだ熱くて行かれそうにもない。傍の石に腰を下して市街を見渡すと盛に煙を上げて居る処も多いが、市の半以上は一面の焼野原と化し周囲の遠山のみ昔の姿を存して居る。暫く待つたが我慢し切れず、まだ靴の裏も焦げはしないかと想はれる中を我家の方へ急いだ。小路は固より大通さへ分らぬ瓦石の中を我家が仲々見つからない。右往左往すること十数分間、漸くにして分つたので恐る恐る近づいて行くと、焼けつくされた瓦の上に白骨が横はつて居る。あッ家内ではあるまいかと不安におびえゝ仔細に接すると、金の入歯、まぎれもなく正しく妻の遺骨だ。思はず大地に額づいて「あゝ済まなかつた、許して呉れよ、嘸(さぞ)苦しかつたゞろう」と悔悟と無念の涙に暮れる。折角疎開して居たのになぜ強く止め得なかつたゞらうか。空襲は免れないと知りつゝも、生死は運命だと軽く片附けて居たのが悪かつたのだ。此の軽率を如何にして報ゆべきかと悔いても及ばぬ事ながら愚痴が果しなく続いて来る。
暫くする中、近くに話声が聞える。隣人もぼつぼつ見える。真智子も屹度死んで居るに違いない、どうしたら良いかと思案して居ると、不意に隣組の娘さんが「お嬢さんがあなたを探して居られましたよ」「エッ何処にいましたか」と言ふや否や走る様にして土手へ行つて見ると、焼残つた土塀の傍に長女が力なく座つて居る。「おゝお前は生きて居たか、よかつたよかつた。」「お母さんは」後は言葉もなく嬉しさと悲しさで涙がこみ上げて来る。「泣いてはいかないよお母さんはねえ、可愛相なことをしたよ」と言ひ乍ら遺骨の前に合掌して共に泣く。
何時迄も斯うしても居られないからと焼残つた木片を拾つて真智子を探す。突然後方に悲痛の泣声が聞える。見れば隣組の某さん姉弟が半焼けの死体に取縋(すが)つて泣いて居る。聞けば彼の母親は身重であつたが、家の倒壊と共に梁木の下敷となつて動かれない。五才になる女児が助を求めるので力一杯梁木を押しやり漸く胸まで出たがもうどうにもならぬ。其中女児は隣人に助けられたので母の手を引いて、「お母さんお母さん」と泣きわめくばかり。火は次第に身に迫つて来る。子供が危険だ。「お母さんはよいからお前はおばさんと一緒に逃げなさい」と強いて逃れさせ、自分は家と共に焼死されたとの事。母子の心情を察して共に泣きつゝ懇に葬る様手伝つて上げる。
陽はカンカンと照りつける。瓦、石ころ、煉瓦等一箇宛起して見るが仲々見つからない。遊んで居たであらう奥の間の下からは玩具の数々が掘り出されて涙をそゝるものばかりで、骨らしいものは少しも出ない。陽は容赦なく照りて足は焼つく様だ。日陰一つもない焼野原で水道の水に渇を医しては掘り続ける。死人の様に青ざめた長女は「暑い暑い気分が悪い」と訴へつゝ、尚探さんとするを強いて防空壕に入つて休息さす。水溜へ石や煉瓦等を置き其上に板を載せて座席とする。暫く休んでは又続けるが午前中は空しく過ぎて得る所はなく、市役所から配給された握飯を戴いて昼食を済ます。僅か三十坪余の境内だが焼残つた木片一本で隅々まで掘返すのだから能率は上らぬ。隣家の兵隊さんは出張先から帰つて来たと言つて愛児の死体を直ぐに探し出して葬つて居られる。聞けば病床に在つて逃げる事が出来ず、母はその子を助け得ずして避難されたとの事、家族の心情を想ひ又しても同情の涙を禁ずることは出来なかつた。
時刻を問へばもう三時過、探せど探せど見えぬ真智子、此の上は妻の骨を処理して探すより外はないと、涙ながらに白布に包みて其の下を掘る。一枚二枚と焼瓦をめくり焼土を除くと小さい白骨が見える。「あゝ真智子だ」変り果てた哀れな姿。二人で泣きつゝ懇に葬る。
「お母さん」と助を求めつゝ死んだ愛児、之を助けんと傷つける身もて危険を冒して遂に煙に包まれて人事不省に陥つた侭死んだであらう愛妻。思へば胸も張り裂ける様だ。「子供を殺して自分のみ生きて居たつて仕方がない。子供と共に死ぬるのなら本望だ」と強いて疎開先から出て来て遂にそれが現実となつて表はれた悲しさ。最後まで愛児のために護り通した妻の強さと偉大さに泣けて泣けてならぬ。
軈(やが)て涙を払つて立上り二人の遺骨を抱いて悄然として帰途に就く。途中トラツクに便乗し奥海田村へ急ぐ。知人に会つても心は空で、何と応えてよいか迷ふ。重い足を引きつゝ疎開先へ立寄ると皆泣いて迎えて下さる。
広島に居た姉も重傷で世話になつて居るが、聞けば助けを求むる夫を助け得ないで逃げねばならなかつた苦衷、口中がたゞれて言葉も十分発せられない身で、勤に出た侭帰り来ぬ愛娘の事を思つては泣く姉の姿を見ては慰める言葉もない。「しつかり静養して早く癒しませうよ」と別れを告げて中野村へ向ふ。
何時もは笑つて迎える懐しい山河も、今日は憂に閉ざされて、見る物聞く物一として心を慰めるものはない。重い足どりで家に入ると母が飛んで出て「あれでもと思つたのは、この変り果てた姿は」と遺骨を抱きしめて泣くと居合はせた人々も一度に泣き崩れてしまふ。仏前の御灯は涙に曇り、線香の煙のゆらぐ所、打鳴らす鐘の音と共に故人の姿が微かに浮んで来る様だ。
「済まなかつた済まなかつた。せめて安らかなれ」と合掌礼拝して冥福を祈る。弔問の客が次々と見えて悔言を述べられると、哀しみは一層増すばかりだ。問はれてもありし模様を語る気にもなれず、進められる食事ものどを通らぬ。「疲れたゞらう、御通夜はするから早く寝なさい」と親切に仰言る言葉も却て恨めしい。仏前にじつとして居ると故人の事が偲ばれて何時までも絶えない。亡き妻が常に口癖の様に言つた「親は子供のためなら死んでもよい」の言葉を身を以て示したその偉大さ、「人間はどうせ一度は死ぬるもの、仏様へ御礼しませう」と朝夕仏前に額いた貴い姿は忘れる事は出来ない。而して昨朝元気で見送つて呉れた二人が今斯うした姿にならうとは誰が予期したであらうか。諸行無常とは言ひ乍ら余にも果敢(はか)ない人生、何時絶ゆるとも知らぬ人間の愚さが染々と身にしむと共に、大なる力に縋(すが)る外なしと目覚めさせて呉れたのは亡妻の導きに違ないと心から合掌せずには居られない。亡き愛児よ愛妻よ、永へに安らかに眠れ。
被爆当時住所 広島市大手町七丁目
現住所 安芸郡奥海田村山畝
職業 公吏
氏名 檜垣益人
年令 五十五才
出典 『原爆体験記募集原稿 NO2』 広島市 平成二七年(二〇一五年)一二八~一四二ページ
【原文中には、ジェンダー、職業、境遇、人種、民族、心身の状態などに関して、不適切な表現が使われていることがありますが、昭和25年(1950年)に書かれた貴重な資料であるため、時代背景を理解していただくという観点から、原文を尊重しそのまま朗読しています。
個人名等の読み方について、可能な限り調査し、特定しました。不明なものについては、追悼平和祈念館で判断しています。
また、朗読する際に読み替えを行っている箇所があります。】
|