現住所 広島県佐伯郡五日市町
被爆当時 広島市八丁堀福屋七階
年令 二十六才
職業 鈴峯女子高等学校教諭
八時の朝礼を済ませた私は、生徒出席簿を開いた。「田中嘉子八月六日―。」印がない。どうしたのかしら?欠席届は勿論出てゐないし、遅刻するのかしら……。私は一抹の不安を覚えながら、之まで欠席した事もなかつた、その生徒の名前を、ぼんやりと見つめてゐた。
ソロバンの冴えた音が、鉄筋コンクリートの高い天井へ響く。ぺらぺらと、紙片をめくる音が、スタンプをつく音が、騒然として今日の仕事は始められた。
「先生。」生徒の声に、ふと、私は顔をあげた。眼が痛いので逓信病院へ行つて来たいから、外出証明を書いてくれ、と言うのだつた。清潔に洗濯された白鉢巻を、小麦色の額に結んで、緊張した面ざしで立つてゐる。
「ぢやね、お昼の休憩時間に行つて来たらどう?今作業中だし……」私が、そうすすめると、生徒は素直に納得してくれた。私は、赤い筆入れの中から、印を取り出して、受持教員の欄へ捺印した。筆入れの中へ、印をぽとんと入れて、蓋をしようとした。その瞬間、いきなり眼前が、パツと、真黄色になつた。今にして思えば、その瞬間こそ、「文明の悲劇」への、第一歩だつたのだ。はつと驚いて、眼を見はつた。不気味な濃黄色の閃光は、私の視界に満ち溢れ、何一つとして物の形を見ることはできなかつた。閃光は、五秒も続いたであろうか?全く体験したこともない、大閃光であつた。
「八丁堀のあたりで、ガソリンが燃える……まさかそんな……それにしても……」ちらつと、そんなことが脳裡をかすめた瞬間、突然此の世から太陽が失はれたかのように、一ぺんに暗黒の世界と化し、腹の底までつたわるような、物凄い大震動が起つた。私達は、たちまちにして、強烈な爆風と、真黒い、土煙に巻き込まれてしまつた。「空襲!」と、誰かが叫んだ大声も、搔き消されてしまつた。閃光に呆然としてゐた私も、それこそ天地を引き裂くような、物凄い震動に、素早く机の下へころがり込んだ。丸くなつて伏せた私は、両手で、眼、鼻、耳、と、兎に角、力いつぱい顔面を被うた。全く無意識の動作だつた。それつきり私は、気が遠くなつて、意識を失つてしまつた。二十幾万の広島市民の生命と、地上のあらゆるものを、瞬時にして粉砕しつくしたもの!これが、原子爆弾の世界における第一声だつたのだ!
どの位時間が経過したものであろうか?ものゝ四、五分であつたろう。ふと、私は意識を取り戻した。あゝ、私は生きてゐる。生きてゐたのだ。私は、生きてゐることを、不思議に思いつゝも、喜びに胸がふるえた。しかし、それはほんの瞬間で、次におそい来たものは、「空襲!」と言う、恐しい現実だつた。不安と、恐怖と、戦慄が、私をしめつけた。私はおのゝきながら、夢中になつてもがいた。口の中には、ざらざらと土が入つてゐる。プツ、プツ、と、吐き出した。歯をかみ合はすと、げじげじと、気味の悪い音がしてとれない。幸いかすり傷一つ受けなかつた私は、ほつと、安堵の胸をなでおろした。土をかぶつた髪は、ピンも何処へか飛んでしまつて、恐ろしく振り乱れ、朝方きちんと櫛けづつた面影など、いまは微塵もなかつた。
四つばいになつて、懸命に這い出した時、「先生ー先生ー」「先生ーどこー?」と、あちらからも、こちらからも、生徒達の悲愴な叫び声と、泣きわめく声が聞こえてくる。私は、ハツと我に返り、「ここよーここよー早くー」と、懸命に叫んだ。手探ぐりで這い出した私は、胸が苦しくて、思うように声が出ない。「先生ーどこー?」「ここよー」「先生ー」「はーい、ここよー」「先生ー」生徒と私は、不気味な暗い崩壊された部屋の中で、お互いに泣きながら、生徒の名を、私の名を、幾度呼び続けたことであろう。
生徒達の必死の叫び声は、生地獄の悲痛な叫びとなつて絶えなかつた。暗闇の中にさまよう私達は、何も見ることが出来ない。唯、なにか巨大なものが、私の眼前に崩壊してゐることが、ひしひしと感じられるだけである。私は、ふるえる手で、少しづつ探りながら、生徒達の泣き声の方へ近づこうとして、懸命になつた。自分の声とも思えない、かすれた叫び声で、生徒達を呼びながら……。四、五人の生徒達が、私を探し求めて、両脇からしがみついて来た。がたがたふるえながら私は、生徒達を固く抱きしめた。「怪我は?さ、早く、早く逃げて、逃げるんですよ」「先生ー」と、生徒達は、尚も私のブラウスをしつかり握つて、消え入るような声で泣いた。一刻も早く避難するようにと、私は、乾き切つたのどをふるわせて命令した。
白鉢巻の生徒達が、右往左往してゐる姿が、女子挺身隊の人達が、泣きながら、友の名を呼びつつ、出口を探ね廻つてゐる姿が、ぼーつとして、私の眼には夢のやうであつた。まるで此の世の終りを告げる断末魔の光景である。
足の踏み場もなく、一面に散乱した紙片が、仄白く眼にうつつた。崩壊された窓から入つて来た黒い煙に、ギヨツとして外を見ると、真向いの福屋旧館が、既に渦巻く黒煙と、生き物のような火焔に包まれてゐる。いけないつ!と思つた瞬間、生暖い風が、さーつと顔を撫でた。「早く、皆、急いで!」私は切れ切れに、そう叫んで生徒達をせきたてた。
「先生ー今村さんが……先生ー」そう言う生徒の声に、私はあわてふためいて、その方へ行こうとしてあせつた。何か不吉な予感が、チラつと脳裡に閃いた。大半避難してしまつたうす暗い部屋は、不気味な空気が漂つて、ゾつと身ぶるいする程である。
「今村さん!今村さん!」窓辺に駈けつけた私は、べつとり血まみれとなつて、倒れてゐる生徒を、何度もゆすぶつて呼んだ。声はない。頭から、手から、足から、流れ出る血潮が、そこら中の床を、真赤に染めてゐる。あまりの大負傷と、生臭い血潮に、私は呆然となつてしまつた。手の施しようもなかつた。頭から首のあたりには、無数にガラスの破片が、つきささつてゐる。両腕の筋肉は、ガラスの破片の為に、あちこち深くえぐり取られて、正視に堪えぬ程、凄惨な有様である。
「どうにかして、つれ出さなければ……。」そう思つた私は、必死になつて抱き起した。「進徳高女、今村千代子」と、書かれた名札が、血でべつとりとなつた左の胸に、かすかに読めた。脅えてゐる生徒達に手伝はせて、やつと背負うことができた私は、うろうろしてゐた、二、三人の生徒を先に逃げさせて、一人残つてしまつた。生徒を背負つて、ほつと一息ついた私は、尚、他の生徒を尋ねてうろうろした。
東の窓から、中国新聞社が、天空をも焦さんばかりに、猛烈な火柱となつて、燃え上つてゐるのが見える。黒い人影が、半狂乱のように右往左往してゐたが、救いを求めるかのように、両手を出して窓辺によりかゝり、そのまま動かなくなつてしまつた。私は、思わず眼を閉ぢた。福屋七階の此の職場に、学徒と私の白骨!あゝ、私はぞつとして身ぶるいした。どうにかして逃げ出そう。必死になつた私は、血眼となつて階段を探ねた。どこをどう歩いたのか、全く記憶になかつたが、苦痛を訴える生徒を背負つた私は、血まみれとなつて、やつと階段を見つけた。やゝもすると、ずり落ちそうになるのをすり上げながら、むちやくちやに階段を駆け降りた。
ぬるぬるとした、生臭い血がどこまでも続いてゐる。何階まで降りたのであろうか? 唯、夢中であつた。
逃げおくれた若い女の人が、血潮に染つた顔に、髪をふり乱し、虫の息も絶え絶えに、階段の隅つこによりかゝつてゐた。ピンクのブラウスが、無慙(むざん)に引きちぎられてゐる。「ここにゐては危険ですよ、逃げませう、ね、早くー」そう言つたけれど、言葉はない。お気の毒にと思つたけれども、両手を取られてしまつてゐる私には、何一つ為す術もなかつた。
やつと降りて来た一階の出口は、黒山の人である。人一人しか通れそうもない狭い出口を、鮮血にまみれた男や、髪をふり乱した女が、犇(ひし)めき合つてゐた。「早くしろいッ、急げッ」と、生地獄の悪鬼かと思えるような、血まみれの顔に、眼をぎよろつかせた男が、怒号する。コンクリートの床は、忽ち血の海と化して、生臭いにおいが、むつと鼻をつく。強硬に押しのけては先に立つ男が、歯痒くてならなかつたけれども、若い女の私には、どうすることもできなくて、後に残されるばかりであつた。
悪夢のような、恐ろしい印象は、私の胸を苦しく、しめつけた。
とめどもなく流れ出る血潮は、私の肩からブラウス、もんぺへと伝つて、その生臭いにおいに嘔吐を催しそうになる。幾度か、私はブラウスの袖で、片方づつ額にかゝる血を、拭い取つた。
やつと出口から抜け出した私は、周囲を見廻して、唖然として足も竦んでしまつた。一瞬にして廃墟となつてしまつた広島市、大建築物の崩壊した残骸が、眼前にあるではないか。親を求めて泣き叫ぶ幼子の、声も嗄れ果て、焼け爛れて、薄黒くなつてゐる小さな、素裸の爛死体は、あまりにも悲惨である。無慙に倒壊された家屋は、わづかに狭く道路を残すのみで、粉砕された瓦や、ガラスの破片で、足の踏み場もない。全身火傷して、痛々しく皮がはがれて、たれ下つてゐる男や、髪をふり乱した女が、地獄の亡霊を思わせるような、半狂乱の風態で、右往左往してゐる。
ふと私は、眼前に、女子挺身隊の伊藤さんの姿を見つけた。両肩に長く三つあみされてゐて、黒く美しかつた髪が、血に染まつた顔面を被うて、ふりみだれてゐる。
「まあ、伊藤さんーお気の毒に……。」私は、言葉も出なくて、泣けてしまつた。
足を負傷して逃げ遅れてゐた二人の生徒が、目ざとく私を見つけて、びつこを引きながら走りよつて来た。瀕死の生徒を背負つた私は、二人の生徒を左右につれて、とぼりとぼりと北へ向つて歩いた。顔面は異様にふくれて、皮ははげてたれ下り、唇は大きくふくれ上つて上下に開き、不気味に白い歯をのぞかせ、背中、胸、両手、両足、と、焼け爛れた人達が、私達の前にも、後にも、長く長く続いて歩いて行く。わづかに腰のあたりに、もんぺの名残をとどめた女の人が、私の前を、とぼとぼと歩いてゐる。太陽は容赦もなく、じりじりと照りつけた。
木片や瓦が壊れかゝつてゐる道端の、防火用水の中へ、子供が上半身をつゝ込んで、真黒に焼け爛れて死んでゐた。三才位であつたろうか。すぐ傍の、アスフアルトの上に、白い猫が、無慙な死体を晒してゐる。
「此の辺、幟町ぢやなかつたかしら?」ふとそう思つた私は、教会のあつたと思われるあたりを見廻した。それらしい名残は微塵もなかつた。道端にころげてゐた老婆が、どうか私も背負つてくれと、両手を合せんばかりに懇願する。一しよに逃げましようと、言つたけれど、毛布と、風呂敷包みの上に、伏せるようにして、動かうとしない。白髪が、瘦せこけた、皺の多い顔面へ被いかぶさつて、凄く不気味だつた。
目玉が、鋭く光つてゐる、日焼けした顔の陸軍々人が、軍刀を杖に、避難民の指揮をしてゐた。額に巻かれた、国防色の三角布に血がにじんでゐた。此処は、浅野泉邸であろう。松林が燃え始めてゐた。
私達は、間もなく白島線へ出ることが出来た。窓ガラスや、車体が破壊された、空つぽの電車がぽつんと線路の上に、取り残されてゐる。生徒達は、素早くその中から、藁草履を見つけ出して、片方づつ分けて穿いた。
欄干の崩れ落ちた、常盤橋を渡る頃、饒津(にぎつ)神社は、既に燃えて、火焔は道路端の森へ移つてゐた。鉄橋を渡りかゝつた、長い貨物列車が、車輪をこちらに向けて顚覆(てんぷく)してゐる。黒い車体が、土手へ、水中へ、散乱してゐる様は、巨大なる動物の大往生した姿にも見えた。
暫く川に沿うて歩いた私達は、やつと土手下の草叢に、木影を見つけた。そつと生徒を休ませた。牛田の町である。土手の桜の緑葉が、風にさらさらと、葉裏を見せて鳴つた。薬も、繃帯も持たない私は、早速二人の生徒に、薬を尋ねて歩かせた。ブラウスも、もんぺも、血でべつとりとなつた私は、もんぺの下から、スリツプを引張り出して、横にべりべりと引き裂いて、何本かの繃帯を作つた。「先生ー水ー」と、全く血の気の失せてしまつた唇を、微かにふるわせて、生徒はしきりに水を欲しがつた。「今ね、西村さん達が貰いに行つてるんですよ、すぐ帰つて来るからね、苦しい?も少し待つてね……」そう言つて、私は真赤に染つたブラウスの前明を、べりべりと引裂いて、胸をあけてやつた。苦しいだろう……。どうにも手の施しようのない私は、いらいらして来て、汚いハンカチを、小川の水に浸しては、胸のあたりを、少しづつ少しづつ、そつと拭いてやつた。
出典 『原爆体験記募集原稿 NO2』 広島市 平成二七年(二〇一五年)一七~三一ページ
【原文中には、ジェンダー、職業、境遇、人種、民族、心身の状態などに関して、不適切な表現が使われていることがありますが、昭和25年(1950年)に書かれた貴重な資料であるため、時代背景を理解していただくという観点から、原文を尊重しそのまま朗読しています。
個人名等の読み方について、可能な限り調査し、特定しました。不明なものについては、追悼平和祈念館で判断しています。
また、朗読する際に読み替えを行っている箇所があります。】
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