一、現在 氏名 大荷 康夫(74才)性別、男性
住所 三重県上野市幸坂町三五四八
二、被爆当時 被爆地 広島(入市)
年齢 19才
住所 広島市江田島幸の浦
軍隊名 陸軍海上挺進戦隊
三、伝言
瀕死の負傷者は唯々水を求め、必死に形相を変えて私達ににじり寄りゴムの水筒を鷲摑みに来たり、休憩中の部隊の前で力尽きて息絶える。思わず駆け寄る軍医、余りの熱線で家の前の各防火槽の中に身体をねじり込み蓋をして死んでいたり、爆風のショックで電信柱以上に舞い上がったとか。川を目がけて飛び込んだであろう上流からの累々たる死体の流れ、それを網で引き揚げる囚人たち。眼球が飛び出した人、朝礼時の直撃で全員即死した校庭の女学生。いたる所に書かれた伝言板、夜空に走る火の玉、男女の性別と員数を把握して75人焼いたこと。
6日から11日迄の入市被爆体験ですが、地獄の猛火にさらされた犠牲者のこと、そして今なお原爆病に苦しみ闘う人々のことを忘れず、決して風化させてはならない。
出典 三重県原爆被災者の会編 『二十一世紀に向けた三重の被爆者の伝言集』 三重県原爆被災者の会 2000年 205頁
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