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被爆体験について 
藏岡 悦子(くらおか えつこ) 
性別 女性  被爆時年齢 16歳 
被爆地(被爆区分) 広島(直接被爆)  執筆年 1995年 
被爆場所 広島市段原大畑町[現:広島市南区] 
被爆時職業  
被爆時所属  
所蔵館 国立広島原爆死没者追悼平和祈念館 

比治山の麓段原大畑町で薬局を経営する父母と私達五人兄弟。戦時中の不自由な生活ながら幸せに暮していました。

“ピカドン”。あの忌しい一瞬を誰が予測したでしょうか。仁保の知人が朝、初物のブドウを持って来てくれました。幼い弟妹は欲しがりましたが「仏様にお供えしておやつの時間が来たらあげるからね」と云う母と一緒に二階に上がって行きました。

しばらくしてあきらめた二人は外に遊びに出て行きました。その数分後・・・・。何が起きたかあっと云う間に家の下敷となり、母と私はやっとの思いで外に出ました。そしてそこに見たものは、父と弟妹の全身焼けただれた変りはてた姿でした。学校薬剤師の父を比治山小学校において私達は、仁保の小学校に避難しました。

父は夜までけがや焼けどした人達の看病をして私達のところにやっとの思いでたどり着きそのまま意識を失いましたが暁部隊の兵隊さんの手厚い看護のお蔭で助けて頂きました。幼い弟は七日未明に妹は八日朝亡くなりました。食べたかったブドウも食べずに・・・・・。

母はその後心のキズは大きくブドウは決して口にしませんでした。つらい日々の事は何も口にすることもなく戦後五〇年痴呆の人となり悲しい事は勿論子供がいた事すら忘れてしまいました。

私は後遺症で髪の毛も抜けましたが何とか九死に一生を得て思いもしなかった現在のこの年まで生きさせて頂いています。でも夏は矢張りつらいですね。

 

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