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未来への伝言 被爆の体験と証言 
海老澤 一巳(えびさわ かずみ) 
性別 男性  被爆時年齢 28歳 
被爆地(被爆区分) 広島(直接被爆)  執筆年  
被爆場所 広島市(横川町)[現:広島市西区] 
被爆時職業 軍人・軍属 
被爆時所属 陸軍 
所蔵館 国立広島原爆死没者追悼平和祈念館 
原爆投下時にいた場所と状況
広島市横川町
状況 一号(直接)被爆

一 ぜひ伝えておきたい、あの時の光景や出来事(あの日)
爆弾投下による恐ろしさ。建築物の破壊・倒壊によって、下敷となった人を救い出しが出来なかった。一生後悔してる。火の手はあがり、火事で家々が焼かれ、一面焼け野原となった。負傷した人が「水をくれ・水を下さい」と訴える人々。衣服はボロボロに破れた人、皮膚をむかれた人。火傷がひどく、皮膚がタレ下り、人間の想像を絶した生き地獄は原爆がもたらした破壊の極限状況で、多くの人々の死爆者が居り、又生き残った人も原爆症になり今後あらゆる病魔と戦って行く姿を伝え残したい。

二 被爆後の病気や生活や心の苦しみ(戦後)
被爆して放射能による障害の苦しみが、今後どんな風になるのか全然不明で恐ろしかった。結婚するにも放射能により生れる子供が片輪の障害者であったらどうするか、被爆者であることを、人に知られたくないから被爆者であることも、人には話しが出来ない心の苦しみがあった。急性原爆症・放射能障害で、いつ癌になるか病気との戦いに明暮れた日々の生活を送る身の苦しみに堪えて来た。幸い子供は普通の身体で生まれ、大学も出て、結婚し子供も出来た、喜びと安心で一杯だった。九四年九月に胃癌で手術・胃を三分の二切断したが現在は体重も元になり元気一杯で生活している。

三 今、被爆者としての生き方と、訴えたいこと(現在)
「核兵器実験禁止・核兵器をなくせ」運動で再び被爆者を、つくらないと云うこと、核兵器を、この地上から廃絶すること、又「国家補償の被爆者援護法」の制定をして、安心した生活の保障が出来る事を訴えたい。九四年九月胃癌の手術をしたので身体の恢復を願って、水泳・手頃なウォーキング・或は太極拳などを行い、旅行などで、リラックスして、身体をきたえて、食べ物・飲み物を気を付け再び癌にならない様に毎年健康診断を続けて万全の生き方を考えて行く。
  

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