拝啓 今冬の寒さは格別に厳しいようでございますが、皆様御変りなく御送日の事と存じ上げます。
さて、本年は昭和二十年八月六日広島市に原爆が投下されその犠牲となり命を落とされた人々の三十三回忌に当ります。私方も本年左記仏達の三十三回忌が参りました。
八月六日三十三回忌正当
眞諦院實道日顕居士 俗名 岩本三郎二
八月六日三十三回忌正当
眞證院妙徳日入大姉 俗名 岩本サキ
八月十三日三十三回忌正当
智光院日久大姉 俗名 岩本久子
広島に於いては本年三十三回忌法要を営む家が沢山ありますし随ってお寺さんも御多忙であります。又八月は広島市に於いては各方面色々と行事も多い事でございますので、私方は取越して本年三月二十七日(日曜日)に法要を営みたいと存じます。
昭和二十年八月六日に広島市に特殊爆弾が投下されたとのニュースを聞いたのは岐阜市郊外の勤労作業場でした。十日に作業が終了し、汽車の切符を手に入れて帰省、広島駅頭に立ったのは八月十五日の真昼でした。見渡す限り焼野が原で人影はほとんど見当らぬ位で、全市が墓場になったのではないかと思われるほどでした。崩れかかった原爆ドームも、広島駅あたりからすぐそこのように近く見えました。鷹匠町あたりも人骨があちらこちらにちらばり、人はいないし鬼気せまるものがありました。弟(道男)が建てた焼けあとの木標で大体の事情がわかり、仁保町渕崎の家をたずねた次第でした。
本覚寺さんも寺も人も全滅、土台石と墓石が残っていました。幸いに草津の慈光寺さんの前のお上人さんが祖母の時代からよく知っていただいた方なので、お願いして鷹匠町の焼跡でお経をあげていただきました。それが葬式という事になりました。
二十一年の十一月十三日に弟(道男)もひどい原爆症が出て他界しましたので、岐阜市に住む私には広島市の足がかりがなく法事らしい法事も出来ないまま、あっと言う間に二十五回忌もすんでしまいました。この度の三十三回忌法要を営みますのが葬式と年忌法事を兼ねたようなものになります。これから十七年後の五十年忌法要という事になると「夢の又夢」のようなこの世の中の事確かな事を申し上げることも出来ません。
この度だけは万障繰り合わせて御参り下さいますよう伏して御願い申し上げます。詳しい御案内は三月初めに改めて差し上げますが、左記日時を御予定いただければ幸甚に存じます。
頓首再拝
昭和五十二年二月十日
岩本一明
記
昭和五十二年三月二十七日(日曜日)午前十一時より午后二時すぎ頃まで
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