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被爆体験について 
上原 芳子(うえはら よしこ) 
性別 女性  被爆時年齢 12歳 
被爆地(被爆区分) 広島(直接被爆)  執筆年 1995年 
被爆場所  
被爆時職業  
被爆時所属  
所蔵館 国立広島原爆死没者追悼平和祈念館 
ピカッと光ったあと気が付いたら真暗で六才の妹と私が家の下敷になっていて逃げる事も出来なくて泣きさけんでいたらやっと母に助けてもらい少しの明かりをたよりに畠に出ました。すぐにワラ家に火がつき燃え出した。三人で楠木通りをはだしで走りました。途中家が燃えていて熱くて通れなく引き返して崇徳高校の横に出ますと二階建の家が軒並みくずれていて通る事が出来なく又元の火の中を無我夢中で大芝の土手に逃げました。

顔を見ると皆口から血が出ていて私は頭を打ったので頭から血がたくさん出て髪が血で固まり気分が悪くなって黄色いものを吐き土手で寝ていました。それから雨が降りハダカ同然の体が黒くぬれてきました。前の川を見れば兵隊さんがたくさん川に入っていて浮いていました。服がたれさがっているのかと思いましたがよく見ると人間の皮がたれさがりそれでも一生懸命逃げている人もいました。

長い間焼けあとの風呂釜に寝起きしてましたが風が少し吹くとゴロゴロころげて大変こわい思いもしました。又母と二人で基町の練兵場の焼跡にたきぎを拾いに毎日車をひっぱって行く途中横川の橋の上に学生の死体がずらり並んでいました。又水そうの中に馬が突っ込んで死んでいました。

それから知人の家にお世話になっていた時毎日の様に隣が竹やぶでしたのでトラックに何台も死体を運んできて積み重ねて焼きました。でもくさく感じなかったのが今考へれば不思議でした。又近所の赤ちゃんがやけどがうみウジがたくさん付きピンセットで取っておられましたがほんとに生き地獄とはこの事かと思いました。

まだまだたくさん書きたいのですが今は毎日目が痛くて手や足の骨もゆがみ手の先や足の指がヤケドをした様にふくれてはしる様になりました。のどには手術が出来ないポリープが出来ていて声が出なくなる事が有りますので大変辛い日々を送っています。これくらいで終ります。
  

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