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畠中奎吾 病歴 
金子 峰子・把田 里子(かねこ みねこ ・たばた さとこ) 
性別 女性  被爆時年齢 13歳 
被爆地(被爆区分) 広島(直接被爆)  執筆年 2018年 
被爆場所  
被爆時職業 生徒・学生 
被爆時所属 広島県立広島商業学校 1年生 
所蔵館 国立広島原爆死没者追悼平和祈念館 

畠中奎吾 病歴 
平成22年
 5月24日     食欲がないので島田病院にて点滴をしてもらう。
 5月25日     医師会病院 8時受付 検査入院。
 6月10日     退院 畠中に帰る 里子泊まる。
      15日     医師会病院13時 検査の為通院22日 今日から 畠中で 兄夜一人で寝る。
      27日    金子家族たちと 楽しい夕食の食事会。
      29日    医師会病院11時30分から検査の為通院予定が畠中に行くと冷蔵庫の横で兄が
                 倒れていた 金子の兄と二人で起こし綺麗にする。医師会病院へ行き入院
  7月 2日     医師会病院から救急車で岩国病院に慢性硬脂下血症 意識障害 すぐに手術。
        6日     北病棟から東病棟に移る。
        9日     国病から医師会へ転院する。
      12日     医師会に把田、河本、出崎、金子が付き添った。
      20日     介護認定を受け 市役所の人が医師会へ
      21日     今後のことでメープルヒル病院へ行く。
      26日     奎吾が外出。14:00~16:30 身体ならしで畠中に帰る。
      29日     把田母葬儀に金子兄達が兄を 葬儀に参列させてくれた
  8月 2日     兄外出 河本兄達に連れて行ってもらう
        4日     医師会病院へ行く
      14日     医師会病院から家に帰りたいと23時頃病院に行き連れて帰る
      18日     兄外出 畠中集合 誕生会を皆で祝う ケーキ 花束 にぎりずし等で祝う
      19日     医師会に10時に行く 医師会へ入院
  9月19日    カンさんがお兄さん、お姉さんの見舞いに来てくれる お兄さんだけ家に帰り
 
平成23年
   1月 4日    11時から6日 17時まで兄外泊自宅へ
                  金子夫婦畠中に泊まりメープルへ
  1月21日    金子母さん葬儀 10時から 兄も葬儀に参列する
   3月 3日    古吉眼科 目の治療
  5月24日    兄定期健康診断うけ大竹会館にて10時~17時まで外出
   8月 5日    兄誕生会 寿司 スイカなどでお祝い
 
平成24年
 10月26日    兄被爆者定期健診 玖波公民館 9:30~11:00
  11月 8日   メープルの介護の方と医師会病院へ
          9日   岩国医療センター入院 青木先生も一緒に来てくれた
  12月 7日   メープル転院
        21日   メープルから西医療センターへ
 
平成25年
 1月23日    西医療センターインフルエンザ流行
  2月 1日    西医療センターからメープルへ
  5月 3日    西医療センター入院 骨髄異形成症候群 血小板が通常の人より40/1少ない
                脳出血のおそれがある 急性白血病 輸血をする
  6月14日   メープルに転院
  7月17日   安佐市民病院入院 右眼内炎 視力低下と眼痛
       29日   退院 メイプルヒルへ
   9月 6日   古吉眼科10/12、26、11/27、12/20、H26・1/17、5/9、6/5、
 
平成26年
  9月 6日   兄自宅へ 皆で食事会
 
平成27年
  8月26日   兄古吉眼科
 10月18日   大竹祭り 兄姉達集まる 畠中で食事会 祭りの山車もみて甥の初老神輿も
                 見れてよかったね 楽しいひと時でしたね。
 10月26日   兄有木耳鼻咽喉科に行く
        30日   メープル新館から本館の2階に移る
 
平成28年
 2月22日     古吉眼科 眼の血管が詰まっている
 3月23日     兄西医療センター 白血球数値不良
  4月 8日     西医療センター 山中先生電話
      14日     朝トイレで転んで頭を打つ くも膜下になる
      15日     西医療センター 山中先生 病状説明を聞く 越水、出崎、把田
      18日    司法書士 西岡先生
      21日    広島市公証役場 越水、把田、金子、西岡先生、と話し合い。
      27日    公証役場成立
 5月11日    血圧が低すぎる 話したい事があるので来てほしいと連絡あり輸血を実施しても
                 血小板も併せて血管内に注入する
      20日    医療センター10時30分頃に来てください 今後の事について山中先生より
                 話されました。
      14日    西医療センターからメープルに転院
  8月25日   メープル加藤先生から電話 病名 骨髄異形成症候群 これまで輸血を繰り返し
                 血液が300cc位の時もあったが、出血の病状が変わる事は無かった18,22輸血
                 かわらず貧血している。骨髄機能が最終的に疲弊しきっている状態である。
       26日   市役所で介護保険被保険者証の更新手続をする。
         5日   メープルヒル病院 佐藤先生より電話あり12日、13日輸血をしても出血の状態と
                 心配して電話あり
       16日   メープル病院に行く 酸素マスクしている 呼吸しんどそう
       20日   肝臓が機能していない尿も殆ど出ていない 輸血15時50分頃400ccする
       21日   午後9時12分 メープルヒル病院で往生する
 
13歳の時被爆し、大竹駅で母親と再会した時、どんなにか母は、嬉しかったことだろうと大竹駅まで大八車を押して、兄の負傷または遺体を乗せて帰る予定が、怪我はしていたが元気なわが子の姿をみて、安心した様だった。

大竹駅から広商に通学する。

中川武、小早川仁、三上健二、新田、一級上日原洋さん達 9人といっしょに学校に行く途中、空襲警報が発令されトンネル内で停車し遅れてしまったので急いで広島駅で降りて、的場町 金山町通り比治山の登り口交番の所で、閃光を受ける。無意識に、目、鼻、耳を両手でふさぐ。一時意識不明になり、気づくと回りはうす暗くなっていた。

比治山に登り全市内を見渡し逃げられる方向を確認する。

西蟹屋町は火災がひどく通れない。広島駅までなんとかたどり着く。

集札口で火傷の手当してもらった火と煙の中を走りぬけ西練兵場まで行くと負傷者が続々集まっていた。
工兵橋まで行った所で川船で対岸に渡してもらい楠木町へ行く。

三滝を通るころから、空が真黒になりアルミ箔ギラギラが無数落ちて来た。己斐川渡ったころから
黒い雨が夕立のように激しく降る。トンネルの中に一時待機した。西日を受け濡れた線路を見ながら大竹をめざしてかえる。逃げる途中、メガネ、片方の靴が無くなる。片足で走って逃げる。大変困難な中よく生きて帰ってくれてありがとう。

帰りは母を、大八車に乗せて、兄が押して嬉しそうに家に帰ったと、聞いています。

被爆の後遺症もあったでしょうか。あまり口にださずに、明るく元気に、過ごしていた様に思います。
 
1932年(昭和7年)8月5日 生まれ 84年の人生でした。
2016年(平成28年)9月21日 往生。
 
お兄ちゃん お世話に成りました 私達 姉兄妹は いつまでも いっしょだよ
優しい兄ちゃん 自慢の兄ちゃん
心の中にいつまでも いつまでも残っています。ありがとうございました。
 


 
 
  

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