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被爆体験について 
葛城 初枝(かつらぎ はつえ) 
性別 女性  被爆時年齢 23歳 
被爆地(被爆区分) 広島(直接被爆)  執筆年 1995年 
被爆場所 広島市古田町古江[現:広島市西区(古江)] 
被爆時職業  
被爆時所属  
所蔵館 国立広島原爆死没者追悼平和祈念館 
私は被爆の一ヶ月程前に平塚で夜空襲にあい、着のみ着のまま汽車に乗って広島へ戻りました。広島は建物疎開をするため、毎日大勢の人達が建物をこわしに街中へ入っておりました。私は今日も家こわしに行こうかと考えていた矢先、昭和二〇年八月六日、其の日は朝から良い天気で朝食をすませた直後、外がピカッと光って丁度平塚で照明弾を落とされたように、明るい朝が一層不気味に明るくなり、私は何ごとかと縁側まで出て光を浴びました。向うの空には太陽ほどの赤いたまがだんだん落ちて行きます。「サァ大変、太陽が落ちる」と思いあわてて室にかけこんだ所で「大きな風」が来たとたんに気絶してしまいました。

母に私の名前を呼ばれ気がついてみると畳も襖もビッしりガラスの破片で埋まり銀世界。其の中に倒れておりました。背中を撫でてみると少し切れただけで運良く大した事ありませんでした。天井が吹き上り、探していたスリッパ等は天井の中にありました。襖に刺さった三角のガラスの破片は手で抜こうにもビクともしません。近所の人達は新型爆弾が落ちたと云って皆不安そうでした。暫くして黒くすすけた人達が逃げて来ました。近所で水を求め亡くなったとか。近所の小学校が救護所になり爆心地から逃げて来た人達が集っていましたが、其のうち煙が毎日立ち上るようになり殆ど皆昇天してゆきました。近所の人の身内の人が、傷口にはえがたかりウジがわいてどうしようもないとこぼしておりました。

私達家族は体に斑点が毎日場所を替えて出るのが気になっておりました。私は爆心地から四キロ離れた古江と云う所に住んでおりましたが、一ヶ月程たって己斐駅へ出てみました。人々は右往左往しておりましたが、まだ一面瓦礫でよくも見事に建物が無くなってしまったとびっくりしました。見えるものははるか向うの山波です。夜は焼け跡に狐が出るとのこと。砂漠と云ったような感じで変り果てた姿でした。人が行列で何か地面から引き抜いていました。見たらたくわんだったので私も一本抜いて来ました。其のおいしかったこと。今でも忘れられないです。樽か瓶に入っていたのでしょう。家族は死亡者が無く幸いでした。


  

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