私は広島市楠木町の兵舎内で被爆しました。爆心地から二キロメートルの地点ですが、私達の兵舎内では警報もなく、食後のわづかの時間を休憩中でそのときに閃光が襲ったのでした。あッという間の出来事で、何がなんだかわかりませんでした。それでも自分は伏せたつもりでしたがそのまま失神して三メートル位の所に吹きとばされていました。どの位の時間の経過はわかりませんが、とにかく気がついたときはすべてが終わっていました。そして自分が生きていたことについて、生きなければと思ったことが胸に焼きついていました。併しそのとき一面のガスで呼吸が出来ず死物狂いで焼あとをさまよって防空壕にとびこんだのです。
そのあとは顔面全部のやけどと左腕やその他露出部分のやけどで死の一歩前を一日中さまよい国民学校に入ったのでした。三日目に山陰浜田市の陸軍病院に入って助かりました。
以上が概要でとてもこの位の紙面では説明出来ません。
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