一瞬、世界中が溶接の火花でまっ青になった。失神から覚めると朝の筈があたりは真っ暗闇…千田町三丁目広島工専の校舎の下敷きになっていた。七月一ぱい山口県徳山の海軍燃料廠に学徒動員され、八月一日から新入生の授業が始まっていた。
先輩と思われる二人が屋根の上からもがく姿を見つけ下半身を押さえていた梁を持ち上げ引っ張り出してくれた。
両腕は火ぶくれで風船玉のようにはれあがり顔もぶよぶよで腐ったスイカだった。幽霊の格好で歩いて行く人らの流れについていくうち、川のほとりに出た。体を冷やしたくて川の中へ飛び込んだが、すでに片目がつぶれていて、水深がわからずアップ、アップしていたら、誰かが「これにつかまれ!」と竹竿をさし出してくれた。
コンクリートの建物の中で眠った。熱いので目が覚め、見まわすと机、書類棚がメラメラと燃えている。出口へはっていった。水にぬれたフトンが転がっていた。それにくるまって七段ほどの石段を転げ落ち庭の小さな池までたどりついた。そこで暁部隊のトラックに拾われて宇品へ。首に名札をつけられて金輪島の兵舎に収容された。
元気のある人は「兵隊さん水ください」「おむすび下さい」と叫んでいた。うみで両目もつぶれじっとしていたら「何か食べられる?」と女の人が声をかけ、おにぎりと水を口に少しづつ入れてくれ「頑張るのよ」と励ましてくれた。
父は千田町、比治山、宇品と焼けた市電に泊まりながら息子を捜したが分らず、ひとまず山口県富田へ帰ってみると〈中井清子〉さんからハガキが届いていた。両親と入れちがいにイカダのような船で大竹に向かう途中グラマンの機銃掃射を受けた。隣に寝ていた女性が被弾した。「お父さんお母さん、先立つ不孝をお許し下さい…一つ軍人は忠節を尽くすを…」と言ってこと切れた。
山口市の日赤病院で白血球減少のため余命二週間と云われたが六七才の今、まだアチコチうろうろしている。
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