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増田 恭子(ますだ きょうこ) 
性別 女性  被爆時年齢 6歳 
被爆地(被爆区分) 広島(直接被爆)  執筆年 2018年 
被爆場所  
被爆時職業 乳幼児  
被爆時所属  
所蔵館 国立広島原爆死没者追悼平和祈念館 

八月六日の朝六才だった私は今日は幼稚園に行きたくないとだゞをこね、母を困らせました。休みぐせをつけてはいけないと私の好きな庭に植えてあるいちぢくの実一番なりを持たせ「これを食べて早よ行きんさい」と云われましたが、私はゆっくりゆっくり皮をむいて食べ、くつ下をぬいだりはいたり近所のさそいに来てくれた男の子に「早ようせいや」と云われても休む休むと泣き母にせかされやっと三十分おくれて家をでました。

近所の薬局の横の路地に入った時、飛行機がとんで来て「アメリカのヒコーキや」と男の子「日本のヒコーキや」と私と云いあっている時、屋根のすき間(1m)位から見えた空が一面にピカッとピンク色に光り私は思わず「きれいワタガシみたい」とさけびました。その空が見る見るうちにあのおそろしい真黒の木の子型のバケモノに変わりました。私達の前に知らないおじさんが大声で「ふされ、ふされ」とさけんで、その場を出ると広い畑でそこにワラがつんであっていつも離さないで持っている防空頭巾をかぶって三人でワラの中にもぐり込みました。しばらくしておじさんが「もう大丈夫。気をつけてかえりんさい」と云われ二人で泣き乍ら薬局の表通りに出て見ると家がこわれて道でカラスが死んでいました。ケガをして洋服はボロボロ、顔から手から血を流している人、倒れている人、水、水とさけんでいました。

広島市内数えきれない程の家々は火の海、多くの人が亡くなりました。

六日の夜は父母私三人で近くの山に行き、父は木と木の間に「かや」をつりゴザを引いて寝る用意をしました。その山から見える市内はまだもえていました。私は地球が爆発すると思いました。原爆ドームのすぐ横に元安川が流れていてケガ、やけどした人が次次にとびこんで川の中は死体でいっぱいだったと聞きました。

八月七日の昼、おとなりのお姉ちゃんが勤労奉仕に行って被爆して大やけどして顔はむらさきにはれ口元はざくろのようにとび出し、フラフラで帰って来ました。びっくりしました。やけどしている手の上にブラウスがくっついているのでおばさんは手首から肩にかけてハサミで切りさきました。血がとびちりおばさんの顔も手も血だらけになりました。私は泣き乍らじっと見ていました。五日位してお姉ちゃんの左手のヒジのところに白いウジ虫がわき出しおばさんが箸でとりのぞいていました。

そして三日してお姉ちゃんは亡くなりました。それ以来、私はケガをして血が出ても「痛い」と云わなくなりました。

今でも身体のあちこちがかゆくなっても爪でかくことは出来ません。ヒフをはがした場面が忘れられません。

遊んでいてケガをして血が出る鼻血が出る髪の毛が抜けると原爆病を心配しました。広島では白血病と云う言葉があばれまわっていました。私の母校である広島女子商のすぐそばに比治山があってそこにA・B・C・Cと云う病院が出来て被爆者を無料で検査してかえる時は袋にチョコレート、ガム、ビスケットなどいっぱいくれて「ツートンカラー」の車で送り迎えとの事でしたが母は「アメリカの医者に身体を見せるな!」と反対しました。

数年してアチコチにビルがたちならびました。ビルの色は墓石と同じ、そしてあのビルの下で多くの人が亡くなっています。八十五才になった今でも高い所から下を見おろすのはこわいです。

広島では原爆の事をピカドンと云って十年は草も木も生えないと云っていました。

高校を出て大阪に来る事になりました。母は広島を出る時、「原爆に合った事は人に云ってはダメ、嫁のもらいてがなくなる」と云いました。

帰広するたびに道路がきれいに街が出来、車も電車も平常に走っています。

原爆の様子がわかるのは平和記念館だけです。

人が人をそして学校、病院、街、兵隊さん、国民を殺しあうのが戦争です。
 
原爆の話しとはちがいますが父の教えで
 
神は地球に住む動物にひとつづつ武器を与えられました。自分の身を守るためです。早く走れる、牙、角、爪、尻尾、うろこなどです。しかし人間にはありません。そのかわりすばらしい会話が出来ます。なのに人は武器をつくって戦争をしています。すばらしい知恵と会話、対話して世界中の人々が平和に暮してほしいです。 

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