日本初の女性弁護士の三淵嘉子さんをモデルにしたNHK連続テレビ小説「虎に翼」がこの春から始まりました。
三淵先生はかつて東京地方裁判所判事時代に広島と長崎の被爆者が原爆の責任を訴えた「原爆裁判」を担当され、日本の裁判所で初めて「原爆投下は国際法違反」と明言されたそうです。(1963年12月7日、判決は請求棄却)
私の母・永石和子は23歳の時、広島で爆心から1.8㎞で被爆し、家族の必死の看病で一命を取り留めることが出来ました。母の一歳年下の妹・永石泰子(ながいしたいこ/私の叔母)も懸命に姉を支えました。
泰子叔母さんは戦後の教育改革により1946年に初の女子大学生として中央大学法学部本科(夜間)に入学、1948年在学中に司法試験に合格、三淵先生に続いて女性裁判官となりました。三淵先生は名古屋地方裁判所の判事時代に判事補の叔母を伴い色々な所へよく出掛けていたようです。そして今回「原爆裁判」のことを知り、深いご縁を感じ胸を打たれました。NHK朝ドラ制作担当者に「被爆80年を前にし核の脅威が現実になっている今、三淵先生に光が当たることはとても意味のある事だと思えてなりません」とのお手紙と母の被爆体験記を送りました。
(被爆体験記『いのち 永石和子』はこの平和祈念館に収蔵・公開されています)
(神野潔氏が著書『三淵嘉子 先駆者であり続けた女性法曹の物語』の中で三淵先生と叔母のことを紹介してくださっています)
叔母は三淵先生とは女性法曹の後進育成や女性の地位向上のために共に活動するなど様々な場面でご一緒していたようです。その一つ、三淵先生との共著『女性法律家』の復刊版がこのたび有斐閣から刊行されました(2024年6月18日)。
叔母は53歳で裁判官を退官し弁護士としてこれからという時、1983年この本の初版発刊後間もなく急病のため59歳で亡くなりました。どのような志(こころざし)があったのか、どんな思いで法曹界で生き抜いてきたのか、どこまでを目指していたのか、直接聞きたいことが山ほどありましたが叶わず残念で仕方ありませんでしたが、今回叔母の文章に初めて触れ実際に活躍していた時代の生き生きとした姿に会えて大変感動しております。
また、この本は第2次世界大戦前後の日本の貴重な歴史の記録にもなっていて、更にその時代を生きた人々の気持ちや息づかいも伝わって来ます。法曹界を目指す学生さんや多くの方、特に女性の手に届き、刺激を受け取って頂けたらと願うばかりです。
「一人」の歴史を残すことは本当に貴いですが、気が付いた時には間に合わないことがあります。人々の記憶からもどんどん消えてしまいます。今回の復刊版刊行やNHK朝ドラで少しだけ前の歴史上の人物を取り上げることはとても意味の深いことだと改めて痛感しています。叔母のことを想いながら、そして原稿用紙50枚の被爆体験記を書き残し2000年に亡くなった母のことを想いながら、テレビの寅子の姿に二人の生涯を重ねて日々感慨を深くしています。
叔母は1943年三淵先生も学んだ明治大学専門部女子部を卒業。翌年20歳の時に母を病で亡くし東京から長崎に疎開、翌45年姉・和子が偶然下車した広島駅前で被爆。東京の家に戻り1946年戦後の混乱期の中23歳で中央大学に入学しますが、その9月に父を亡くします。永石家は4人姉妹、終戦時17歳の末の妹は日赤の看護学校に通い始めていました。両親のいない中、姉妹を支えるため叔母は昼間仕事をしながら夜学に通っていたようです。
叔母は心身ともに張りつめるこのような日々の中で学び続けていた、どんなに大きな困難と努力があったことか想像も出来ません。三淵先生や叔母のような一人一人が苦難に爪立てて乗り越えていった熱いエネルギーが現在の社会を築いてきたことを忘れまいと思います。
草の根の平和の歩みは一人との対話から、私に出来ることはそれしかない!とコツコツやって来ました。今回出版社の担当者に思い切って母の被爆体験記をご紹介したところ涙を流し平和について考えている、と言ってくださいました。心が震えました。お一人の心に伝わったことから叔母の母校中央大学の法学部長への被爆体験記贈呈にも繋がりました。かたつむりの歩みのようでも前に進むことを感じました。NHKに送った体験記もきっと読んでくださっていると信じています。
母は生きていれば101歳、叔母は100歳。朝ドラ主題歌の「100年先でまた会いましょう」のように毎日心の中で母達と会話しながら戦争や核兵器の無くなることを祈っています。私ももう少しで70代、母が亡くなった年齢に近づいていることに驚いています。母の思いをきちんと伝えているだろうか、まだ出来ることは何だろうかと焦る気持ちもあります。でも今回の三淵先生との展開のように人生何が起きるか分からない。母が「まだまだ、まだまだ。できることはありますよ」と私の背中を押してくれている実感があります。私は小さいけれど「普通のおばさんが普通の生活の中で平和のために生きる」を胸いっぱいに抱きしめながら、また一人との対話から始めようと思います。
永石泰子につきましては中央大学の以下のサイトに載せて頂いています。
『タイムトラベル中大125:1885→2010』第2版
学びの系譜3旧制から新制へ (66-67頁)
母とすべての被爆者のみなさまへの追悼を込めて
2024.6.20
近藤 泉 |