この5月、広島サミットに世界の首脳が集ったことを亡き母―「ヒバクシャ」永石和子として使命に生きた母に報告をしました。やっとここまで来ましたよ、と。
首脳の皆さんには≪平和公園の土となり今も足元に眠る人々の叫びを感じ受け止め、平和への誓いを固めて頂きたい。不戦への具体的な計画を待った無しで決議してほしい≫と母に代わって毎日祈っていました。その思いを3つの新聞社の投稿欄に送り、サミット直前の5月17日朝日新聞に掲載されました。
5月19日被爆者の涙とも思える雨の中、不可能かもしれないと報じられていた首脳達の原爆資料館見学が現実となり、被爆者の皆さまの想いを噛みしめるように≪平和公園の土≫の上を一歩一歩歩み慰霊碑に向かう姿を見守れた時は涙が溢れました。さらに見学後に記帳された首脳達のメッセージには胸がいっぱいになりました。原爆の実相のほんの一部しか伝わらなかったとしても原爆の悲惨さや被爆者の苦しみ、平和への祈りを確かに感じ心に刻み、世界に発信したことは確かだと思いました。
母はいつも人の幸せを願いお日様のようでした。2000年春、戦いの20世紀を見届け21世紀が平和になると信じながら旅立ちました。母は爆心から1.8キロで被爆、地獄を生き、20年後この辛い体験を平和のために語り継いでいこうと決心し原稿用紙50枚の体験記「いのち」を書き上げました。後に英訳と共に国立広島原爆死没者追悼平和祈念館に寄稿、登録・公開されネットで世界中どこからでも読むことが出来るようになりました。私も東京の地元中学や公民館の講座などで『戦争体験のない者が語り継ぐ平和』としてお話させて頂いたり、若い世代始め様々な方々に体験記の贈呈を続けています。
時が経とうとも、たとえ原爆資料館の展示内容が変化していったとしても、体験記は本物の現実を伝え続ける。どんな戦争も絶対に起こさせてはならないとの叫び、平和を決して諦めてはいけないとの渾身の祈り…皆の思いを世界中の人に知ってほしい。
被爆地は広島・長崎ではなく『地球』なのだから。リーダー一人一人が、世界中の人々が、その思いに立ちスタートし、平和が当たり前の日が来ると心から願い信じています。
2023.7.3 |