国立広島・長崎原爆死没者追悼平和祈念館 平和情報ネットワーク GLOBAL NETWORK JapaneaseEnglish
HOME 体験記 証言映像 朗読音声 放射線Q&A

HOME体験記をさがす(検索画面へ)体験記を選ぶ(検索結果一覧へ)/体験記を読む

体験記を読む
語り継ぎたい「空白の十年」 
清水 弘士(しみず ひろし) 
性別 男性  被爆時年齢 3歳 
被爆地(被爆区分) 広島(直接被爆)  執筆年  
被爆場所 広島市吉島町[現:広島市中区] 
被爆時職業 乳幼児  
被爆時所属  
所蔵館 国立広島原爆死没者追悼平和祈念館 
1945年8月6日
3歳の私は母とともに爆心地から1.6kmの吉島町の自宅で被爆しました。屋内だったので熱線の被害は避けられましたが、倒壊した家の下敷きになりました。母が必死に頭上の材木を押しのけ、屋根を突き破って脱出して私を引っ張り出してくれました。自宅のあたりは、それからすぐに火の海になりましたから、もう少し遅かったら私たちが生きていることはなかったでしょう。
 
父は爆心地から約1kmの広島市役所南隣の職場で被爆。吹き飛ばされ顔一面にガラスが突き刺ささり、胸は血だらけになったそうです。炎に追われて市役所北側の公会堂前の池の水に入って避難しましたが、失神している間に同僚が千田町の赤十字病院(爆心地から1.5km)に運んでくれたようです。翌朝顔のガラスを抜いてもらい、這うようにして吉島町にたどり着き、お昼頃に母と再会できました。でもやっと家族と会えたのに、その後どんどん弱っていって10月8日に亡くなりました。なぜか、お腹全体が青黒く変色していました。それを見た母は「父ちゃんはピカのガスをたくさん吸ったからだ」と言っておりました。父は近距離で強い放射線を浴びたので、内臓が破壊されて青黒く変色したのではないかと私は推測しています。
 
私自身も原爆から10年間、原爆症に苦しみました。最初はひどい下痢、その後はお腹の痛み、鼻血、ぶらぶら病(*)などが続きました。小学校の体育の時間はずっと見学で、体の弱い子供でした。しかし中学校2年生になるとこれらの症状が消えて元気になり、進学して就職もできました。趣味を聞かれると「登山です!」と答えるくらいに体力がついたのです。
 
けれども40代半ば過ぎから次々と疾患が出てきました。今では腎臓と頸椎に難病を抱え、心臓にも疾患があります。兄は入市被爆者で、若い頃にはとても元気でしたが、75歳で耳の奥の癌を摘出して原爆症に認定されました。今年87歳で、肺癌も発症して闘病中です。何十年経ってからでも肉体を壊し痛め続ける原子爆弾は、まさしく悪魔の兵器です。核兵器は一刻も早く地球上から根絶しなければならないと思います。
 
「空白の十年」
私は被爆者の「空白の十年」について究明し語り継ぐことを、生涯の課題にしています。広島と長崎の被爆者が、なんの支援もなく放り出された約十年間の苦しみのことを、「空白の十年」といいます。それは戦後7年間、日本を占領支配したアメリカ軍を中心とする占領軍(GHQ)が発令した“広島と長崎に関する報道を禁止する”「プレス・コード」によってもたらされました。これによって広島・長崎の惨状が秘密にされ、日本政府もこれに追随しました。このために被爆者は、国の内外から医療や生活の支援を受ける道を一切閉ざされてしまい、世間から放置されてしまったのです。この歴史は今では忘れられていますが、二度とあってはならない歴史的事実です。
 
私たち家族もその犠牲者でした。原爆で一切の家財と大黒柱の夫を失った母は、自分の力で私と兄を育てていかねばなりませんでした。行商をやり、闇市で瀬戸物を売り、缶詰工場で日雇いで働いて、その日稼いだお金で食糧を買って私たちを養ってくれました。母自身も原爆症に苦しんでいたのに医者にもかかれず、必死で働きました。そうして貧しいながらも、なんとか人並みの生活ができるようになったのは、戦後5年以上経ってからのことです。被爆者は戦時中の苦しみ以上の厳しい生活が続いたのです。そのうえ何十年経ってからでも原爆の後遺障害に苦しまなければならない。だから被爆者にとって戦争は死ぬまで終わらないのです。これが戦争なのだと、私はしっかりと語り継いでいきたい。そういう思いで証言に臨んでいます。
 
(*)ぶらぶら病―無気力となり、何もする気がおきない、疲れやすい状態となる、原因不明の症状・病。原爆症の後障害のひとつ。 

HOME体験記をさがす(検索画面へ)体験記を選ぶ(検索結果一覧へ)/体験記を読む

※広島・長崎の祈念館では、ホームページ掲載分を含め多くの被爆体験記をご覧になれます。
※これらのコンテンツは定期的に更新いたします。
▲ページ先頭へ
HOMEに戻る
Copyright(c)国立広島原爆死没者追悼平和祈念館
Copyright(c)国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館
当ホームページに掲載されている写真や文章等の無断転載・無断転用は禁止します。
初めての方へ個人情報保護方針