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被爆体験について 
松澤 憲一(まつざわ けんいち) 
性別 男性  被爆時年齢 20歳 
被爆地(被爆区分) 広島(直接被爆)  執筆年 1995年 
被爆場所 広島女子商業学校(広島市南段原町[現:広島市南区段原南一丁目]) 
被爆時職業 軍人・軍属 
被爆時所属  
所蔵館 国立広島原爆死没者追悼平和祈念館 
私は南段原町の女子商校舎(軍の仮宿舎)で被爆しました。当日講堂(2階)で朝礼があり解散直前の出来事でした。「ピカッ」とものすごいイナズマの様なセンコウが走り、続いて「ドガン」と直ゲキ弾をクラったようなショウゲキとともに自分の体が宙に浮いた感じがしたが次のショックで気を失っていた。気付いた時は兵舎諸共数十メートルはなれた隣地のカボチャ畑に吹飛ばされ、ペッシャンコにつぶされた兵舎の下敷になっていた。

幸いにも右肩の脱キュウだけで逃出すことができた。それから1~2ヶ月野営のテントに寝起して市内の死人の集収と焼却、等の作業に従事し4ヶ月軍隊の残務整理員として使役され12月に除隊、松山の故郷に帰った。

体の調子は高熱、下リ、脱毛、などが繰返され下リは1年以上続いた。特に夏が来ると毎年1~2週間床につくことが多かった。

その後の発病は、セキズイに関する事が多く手足のシビレ、フルイ、腰痛、ヘルニヤ(1年~)、で重い荷物など持てない。

気管関係も弱く、少しの冷気にもカゼを引いたり熱を出す。自然気胸で3ヶ月入院もした。最近はゼンソクのショウ状も出はじめている。しかし今まで被爆後50年も生き永らえることが出来たのは、

(1)被爆直後から続いた下リを直すために背中に一〇火ばかりお灸を毎日一年以上続けたこと
(2)ビールを呑むとセキズイのセシュームが減ると聞いてつとめてビールを呑んだこと
(3)平素の健康維持は勿論のこと永年漢方薬を常用したこと
などが良く効いた様に思える。

いづれにせんか被爆者の言語に絶するつらい思いはこれからの人達にはさせたくない。


  

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