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被爆六十周年「わたしの訴え 
平塚 矩正(ひらつか のりまさ) 
性別 男性  被爆時年齢  
被爆地(被爆区分) 広島  執筆年 2005年 
被爆場所  
被爆時職業 軍人・軍属 
被爆時所属  
所蔵館 国立広島原爆死没者追悼平和祈念館 

 -日本原水爆被害者団体協議会により2005年3月に行われたアンケートの回答-
 
1 「あの日」やその直後のことで、今でも忘れられないこと、恐ろしく思っていること、心残りなことはどんなことですか?
 
石柱の下敷きになっていた老婆を助け出し、そのままにして爆心地に向かった。2日後にその場所に来たら老婆は死んでいた。あの時救護所にでも運んでいたら助かったかもしれない。石柱の下から助け出したままにしたことを後悔している。赤紫色に膨れ上がった男の死体を見た。どうしてあんな色になったのかと思った。皮膚はビニールのようであった。死んでいる人たちの多くは目玉が飛び出していて恐ろしかった。爆風で吹き上げられた男は電柱のてっぺんにいた。女性は30メートルも飛ばされて川に入ったと言っていた。爆心地近くのビルの屋上に老婆が吹き上げられ死んでいた。50歳くらいの無傷の女性が腹が痛い、街が焼夷弾でやられた、仇をとってくれと言って死んだ。もっといろんなことがあった。
 
2 被爆してから今日までの60年間、被爆者として生きてきて、とくにつらかったことはどんなことでしたか?
 
復員して10年位してから白血球を構成している血球の分布が異常と言われた。正常に戻るかどうかは分からないと言われた時、白血病で死ぬのではないかと心配になり東北大学病院に1年くらい通院した。被爆者であることで結婚の話がこわれたことがあった。運命と思ってあきらめた。
 
3 被爆者として、いまとくに心にかかっていることはどんなことですか?
 
パーキンソン病になっている妻1人を残して私が先に死にたくない。被爆の影響がいつ出るか心配だ。北朝鮮が核をちらつかせている。使う気がないならちらつかせなくてもよいと思う。完全に廃止せよ。
 
4 原爆被害の責任はどこにあると思いますか?
 
アメリカ政府
 
5 いま、被爆者として、アメリカ政府や日本政府にこれだけは求めたいと思うことはどんなことですか?
 
アメリカは自分かってな理由で世界を圧迫するな。被爆者には完全、充分な補償を。

原爆投下は国際法違反であることをアメリカに認めさせ、補償を獲得せよ。アメリカに盲従するな。
 
6 いま、被爆者として訴えたいこと、次代の人々にこれだけは伝えておきたいと願うことがあれば、ぜひお聞かせください。
 
100メガトン50発で地球は破滅する。原爆は敵味方ともに害あるだけで、利益にはならない。広島・長崎は生き地獄であった。放射線による害は何年も続くことを知ってほしい。世界から全ての核兵器の絶無を願う。
 
出典 宮城県原爆被爆者の会編 被爆60周年記念文集 第6集『ひろしま ながさきの叫び』2005年8月5日 pp.76-77
 
  

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