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広島市原爆状況について 
平塚 矩正(ひらつか のりまさ) 
性別 男性  被爆時年齢 18歳 
被爆地(被爆区分) 広島(入市被爆)  執筆年 2006年 
被爆場所  
被爆時職業 軍人・軍属 
被爆時所属  
所蔵館 国立広島原爆死没者追悼平和祈念館 

辞世の句(矩正17才)
 
散る桜残る桜も散る桜
再び会お靖国の杜
 
若潮のしぶきと砕けて我はなお
御代の栄えを祈りてぞ征かん
 
私は陸軍船舶特別幹部候補生隊第2期生として昭和19年4月(小豆島)入隊、陸軍海上挺進第43戦隊員で、広島に原爆が投下された、昭和20年8月6日から12日までの間、爆心地付近で、生存者の救出・死体の処理・道路の啓開作業に従事し、被爆しました。

海上挺進隊とは、陸軍の水上特攻隊のことで広島沖の江田島・幸之浦で昭和20年4月から訓練していましたが、防諜上の関係で第10教育隊と称していました。
 
平成17年6月26日・8月6日付けの「朝日新聞」及び6月30日の「河北新報」に
私の『語り部活動』が評価されて、それぞれ記事として掲載されました。
 
1.原爆投下
昭和20年(1945)8月6日・午前8時15分、B29爆撃機「エノラ・ゲイ」が広島の北東から侵入し、相生橋を目標に高度9600mより原爆を投下し、北方へ飛び去り、当時の細工町の島外科病院の上空580mで爆発したと考えられている。
 
2.爆発時の火球
空中の爆発点の温度はセ氏100万度以上、100万分の数秒後には周囲の空気が白熱状態に輝く火球となり、1万分の1秒後は直径28メートル、1秒後には280mの火球となった。
 
3.原子雲
爆発したことによって生じた異常な空気の乱れにより発生した雲(原子雲)が上昇気流によって吹き上げられ、成層圏の下端に達すると放射能を帯びた雲の柱がキノコの傘のように数kmも横に広がった。5分後には直径5kmの原子雲となり、更に大きくなって、2時間経過しても大きさは不明だが、まだ原子雲はあったと言われている。
 
4.原子爆弾の性能
長さ3m、直径70cm、重さ4tのウラン235原子爆弾で、爆弾に詰められたウラン235(10~30kg)のうち、わずか1kgが核分裂したものと考えられている。そして爆弾から放出されたエネルギーはTNT火薬1.5万t相当で、強烈な熱線と放射線が四方に放射され、更に物凄い爆風と衝撃波が発生した。
 
5.熱線による被害
熱線は爆発後100分の1秒から約3秒の間、地上に降りそそいだ。爆発点直下の爆心地での温度は3000℃~4000℃(鉄の溶解温度はセ氏1536℃)で、付近の屋外にいた人は溶鉱炉に投げ込まれた状態となる。

600mあたりまでの屋根瓦の表面が泡状に膨れた。1km以内の花崗岩の表面の石英が細かくはじけ白っぽく変化した。2km付近の人の着ていた衣服や洗濯物、2.1kmでは鉄道の枕木、防止柵、2.5kmでは藁屋根が着火、炎上した。

強烈な熱線により市内中心部の家屋等が自然発火した。また、倒れた家屋の台所の火気などを原因として、約半径2km以内の地域は焼失した。
 
6.衝撃波と爆風による被害
爆発点は数十万気圧という超高圧となり、まわりの空気が大膨脹して、すごい爆風が発生、爆風の先端は音速を超える衝撃波となり、地上のあらゆるものに大きな被害を及ぼした。10秒後には3.7km先まで到達していた。

最大爆風圧は爆心地で35t/㎡、最大風速は440m/sec、爆心地から3kmの地点では1.3t/㎡、30m/secに達した。2.3km離れていた御幸(みゆき)橋の石の欄干も倒れた。爆風がおさまると、中心部の空気が希薄になったため、爆風のような吹き戻しがあった。27kmも離れた地点での窓ガラスの破片が見受けられた。

爆心地周辺のコンクリート建築の最上階の天井・窓・扉・内部の家具類まで押しつぶされ、吹き飛ばされた。2km離れた所でも窓枠が吹き飛ばされた所もあった。
 
7.放射線による被害
爆発による放射線にはアルファ線・ベーター線・ガンマー線・中性子線の4つであったが、アルファ線とベーター線は透過力が弱いので空気中に吸収され、地上に影響したのはガンマ線と中性子線であった。

物体が放射線を受けた量をグレイ(Gy)という単位であらわすと、7Gyは致死線量と呼ばれ、これ以上の放射線を全身に受けると100%死亡する。

爆発から1分以内に放出された爆心地近辺の初期放射線量はガンマ線117.0Gy、中性子線33.1Gyである。爆発後長時間にわたって残留放射線(核分裂生成物・未分裂ウランからの放射線)により救護活動のため入市した人々の中には直接被爆した人と同じように発病したり死亡する人もいた。

放射線には人体組織細胞に衝突すると、その細胞を破壊する作用を持っており、特に人体造血組織(骨髄・リンパ節)や生殖腺など活発に増殖している組織ほど感受性が強い。

これら放射線による早期障害として早期死、組織損傷があり、熱線や爆風の傷害を受けなかった無傷の被爆者までもがバタバタと倒れた。

また晩期障害としてケロイド・原爆白内障・白血病・悪性腫瘍・寿命の短縮などがあり、長い年月にわたって継続または発病は半世紀も過ぎた現在でも終息していない。

遺伝的影響の立証は困難であるが一般に漠然とした不安を与えると言う点では社会的意義は無視できず重要な問題となっている。
 
放射性降下物(フォールアウト)を空気・水・灰などと一緒に飲むとストロンチウム90、セシウム137が体内で放射線を出す、体内被曝という。

中性子が血液のナトリウム23にあたるとナトリウム24となりβ線を出し体内被爆となる。
劣化ウラン弾、放射性同位元素
 
8.人的被害
爆心地より500m以内にいた人の約90%が即日死亡したと言われている。また原爆による死亡数は現在でも正確に掴めていないが、広島市では放射線による急性障害が一応おさまったと思われる昭和20年12月末までに約14万人±1万人が死亡したと推計している。また昭和25年10月1日の国勢調査で昭和20年8月6日から5年間で約26万人が死亡したことがわかった。
 
9.損害金額
損害見積もり総額          8億8410万円
昭和19年生産国民所得      1044円
昭和20年広島市予算       9611万円
                       昭和20年前後時の金額
以上のことから、当時の広島市民数28~29万人の3倍の人数が1年間一切消費しないで蓄えた額が原爆による損害金額となる。
 
10.原爆被害の実相
爆心地から半径2kmまでの地域では木造建築はほとんど倒壊焼失、爆風により人々は吹き飛ばされ即死した人、火傷・負傷・建物の下敷きになって圧死した人が相次ぐなどで、原爆による被害の特質の大量破壊・焼失、大量殺戮が瞬時に、かつ無差別に引き起こされたこと、放射線による障害がその後も長年にわたり人々を苦しめたことです。

このような非人道的核兵器は絶対に廃絶すべきです。
 
参考資料
①「広島平和記念資料館」発行の『広島原爆被害の概要』
②「広島市役所」発行の『広島市原爆被爆者対策事業概要』による。
③ 同上「広島原爆戦災誌」
④「岩波書店」発行の「広島・長崎の原爆誌」
⑤ 同上「原爆をみつめる」
⑥「三省堂」発行の「原子爆弾の記録」
⑦「童心社」発行の「原爆の絵」
⑧「日本放送出版協会」発行の「市民の手で原爆の絵を」
⑨ 福音館書店絵で読む広島の原爆 

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