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被爆体験について 
寺元 康博(てらもと やすひろ) 
性別 男性  被爆時年齢 3歳 
被爆地(被爆区分) 広島(直接被爆)  執筆年 1995年 
被爆場所 猿猴橋(猿猴川) 
被爆時職業 乳幼児  
被爆時所属  
所蔵館 国立広島原爆死没者追悼平和祈念館 
 
その日は母親と広島駅の次の停車場である猿猴橋で乗物を待っておりました。歩道には手押しポンプが所々にありました。そのポンプの柄をせいいっぱいの力を入れて、水を飲んだ。そして“明日、天気になーれ”と言って、はいていたゲタの片方を空に向ってなげたら後方に飛び、そのゲタを取りに行っていたら…。なにが、どうなったのか、とにかく、まっ暗い所にいたのを鮮明に覚えております。しばらく、きょとんとしていたと思います。

母親の叫ぶ声と暗やみの中でわずかに明りのさす所があり、そこから、はい出した。そこで初めて片方のゲタがなくなっている事に気が付きました。

多くの人達が、だまって静かに歩いておりました。白いシャツを着ている人、体が赤くなっている人、衣類がぼろぼろになっている人もいました。

電車が傾いて止まっております。車内には多くの人が乗っていたのを覚えております。又反対側の歩道に人々が渡り、さらに階段をどんどんありの列の様に下がっておりました。川の中に入っていったのでしょう。

被爆地から約4km離れた自宅に母親と歩いて帰りました。途中の事はほとんど覚えておりません。自宅では窓ガラスが割れておりました。

あれから早や50年が経過しました。

小学校の頃を思い出しました。よくちこくして、おこられたり、からかわれたりしました。
朝起きて、顔を洗っていると必ずと言っていい程、鼻血が出ました。鼻につっこんでいる脱指綿を取り除くの事、急ぐと又、再度出血し、よくいろいろしました。

一瞬にしてあまりも多くの人々、建物、その他の物事をうばったピカドン、もう2度と体験すべき事ではありません。

核は使わせない。

核は作らせない。

この2つの言葉を実行させる事は、我々、次世代の人々、しいては地球の為に必要不可決な事である。 

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