私は5才の時、原爆が投下された翌日広島に入り母や弟と市内を歩きました。
東京に住んでいたのですが戦争がひどくなるので、母の田舎、天草へ行くことになりました。行く途中広島に原爆が投下されたので汽車が止ってしまいました。ひとつ手前の駅だったので、1晩そこに泊り、つぎの日入市しました。
私はあまりおぼえていないのですが川を渡ったりドームの所でおにぎりを食べたりしたことは少しおぼえていますが、その他のことはあまりおぼえていません。
母からよく話を聞きましたが「あれは地獄だ、原爆は絶対使ってほしくない」と云ってました。
田舎の祖父は医者で私たちが、その時下痢をすると「これは他に原因がありそうだ」と云っていたそうです。
母はその後入退院をくり返し、手術も2回ほどしました。77才で亡くなりましたが脳内出血であっという間でした。戦争をくりかえすな、原爆反対子どもたちの未来のためにも、このことは守りつづけていきたいと思います。 |