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被爆について思うこと 
可愛川 孝雄(えのかわ たかお) 
性別 男性  被爆時年齢 5歳 
被爆地(被爆区分) 広島(直接被爆)  執筆年 2005年 
被爆場所  
被爆時職業 乳幼児  
被爆時所属  
所蔵館 国立広島原爆死没者追悼平和祈念館 

 

〇爆心地より1.7㎞の所、自宅にて被爆しました。家族は5人、父母、姉、妹、そして自分です。
 
父は兵隊に出ていませんでした。残る4人の中、姉は広島市立女学校の2年生14才で、学徒動員として爆心地、市内中心部の中島町(当時名)で建物疎開を行っておりました。そこで被爆死亡。残る母と妹と自分は朝の食事前で御飯が煮えたったので茶碗を並べて用意をしていました。

妹が早くおきたので眠むいのか「ねんね、ねんね。」と泣くので、燃えた薪木を消して、3人で川の字になって母を中心に寝ておりました。(中省略)その状態で被爆、母の上に梁が落ちて私は母の側にあって助かりましたが母と妹は亡くなりました。私1人になりました。

近所の方や兵隊さんに助けて頂き、親類のある田舎に行きました。

傷を負っていました。大きな傷もあり、又、小さな傷もあり共になかなか治りません。ガス(原子爆弾の)を吸った為らしい。毎日医者にかかって手当しましたけれども、1年かかりました。

毎日注射されるのですが再々ですので腕の筋肉が変形してしまいました。その他悲しい思いをした事があります。

子供の頃、原爆を被爆した者の側に寄ると感染する。友人の親より遊ぶなと言われた事、被爆によるケロイド、頭部に直径7㎝位のものと、Y字に割れた傷の跡、を友達にからかわれたりと、いつも悲しく寂しい思いをしました。

このような事があったけれども、この事をバネにして他の人に負けてはならずと自分を励まし、言い聞かせて今日まで来ました。

私は今、自分が生かされてある事を実感し、感謝し恵れない方々や子供達に些かでも援助の手を伸ばしてあげたいと思い実行させて頂いています。 

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