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私の一生忘れる事の出来ない日 
高本 美重子(たかもと みえこ) 
性別 女性  被爆時年齢 16歳 
被爆地(被爆区分) 広島(直接被爆)  執筆年  
被爆場所 広島駅(広島市松原町[現:広島市南区松原町]) 
被爆時職業 生徒・学生 
被爆時所属 高等女学校 
所蔵館 国立広島原爆死没者追悼平和祈念館 
「美やん明日映画見に行かない」、「ごめん明日は用事があるからダメなんよ」あの忘れる事の出来ない日の前日夕方の何時もの会話です。

昭和20年8月6日悪夢の日、私は女子学生動員で広島市松原町の広島駅構内二階の貨物部職場で主任から始業前の訓示の最中でした。

目の前がフラッシュをたいた様に光り、気が付いた時、私は上半身が血もぐれで、職場の窓ガラスが壊れて額・背中・肩や腕等に刺さり出血していました。

助かった同僚や職場の人達と職場の救急箱の赤チン等で治療してもらいました。

その後、主任から動ける職員は自宅に帰るように指示され、自宅の在る的場町へ爆風による家屋倒壊と火災の中を歩いて帰りました。周りには、目が飛び出た人、鼻が無くなっている人、耳が無くなっている人、服がボロボロで皮膚が剥がれている人、それはこんなことがあるのかと思うような街の様子で、私の怪我は怪我とは言えないほど悲惨なものでした。的場の自宅は倒壊していて父も母にも会えず、近所の幼馴染の家も倒壊し火が点き燃え初めだし、昨日映画に誘ってくれた幼なじみの友達が玉突き台の下敷きになっていて頭に火が点いて「熱いよ、熱いよ」と言いながら死んでいくのを見てしまい、助けることも出来ず悲しくて怖くて一人では歩くことも出来ませんでした。

同じ学徒動員の友達と二人で雨の中を家族を探して歩きました。

夜になり何処かの避難所で休みましたが、亡くなった幼なじみの顔と、昨日の会話「明日映画を見に行かないか」と誘いに来たことを思い出して悲しくて、寂しくて辛かった事を思い出します。

現在でもあの日の悲しくて辛かったことを思い出して涙が出ることが有ります。

翌日7日から母のお店、中島本町辺りへ行こうとしたが、其処ら中が死体で何処をどの様に歩いたか覚えていません。

途中で友達の親戚の方を見つけたが死んでいたため紙に名前を記入し貼り付けて解る様にしておきました。

父が朝出掛けに三滝方面へ行くと言っていた事を思い出し、三滝方面へ広島市内を徘徊し探して歩きましたが、会うことも消息すらつかめずその時は半分諦めていました。その後、ひと月位は同僚職場職員と一緒に駅構内の貨車の中で寝泊まりし、貨車の人達と雨水で雑炊を炊いたりしながら、家族を探していました。

9月に入り父母の消息が分かり再会することが出来、抱き合って喜び合いました。

当時広島は、草木も生えない所でもう住めないと云われ、父と母私の3人で燃え残った家財道具と庭に埋めていた少量の食料を軍からの払い下げの荷車に積んで、妹たちが疎開している豊田郡高知村の親戚を頼って広島市内を出ました。

3日間位掛かって、妹たちのところに辿り着き家族で喜び合ったのを覚えています。

その後もとても大変でした。住む所も無いため、親戚の離れに身を寄せて生活をしていましたが、私たちの体は脱毛・下痢・発熱・紫斑・倦怠感・食欲不振・歯茎からの出血・ガラスの切り傷の痛みと化膿が続き、働くことも出来ず家族が大変な苦労をしました。

被爆した父も出血嘔吐で衰弱していき、翌年には、臭い息を吐いて気が狂った様になり亡くなりました。

近隣の人からは原爆症がうつると云われ悲しい思いをし、近所の人を恨みました。

当時は、大黒柱の父も亡くなり経済的にも不自由し食事も満足では無かったことと、原爆症という風評から他人にも親戚にも相談できず、病院での診療も殆ど受けていません。

私の肩等からは、爆風で受けたガラスの破片は10年経っても破片が出ていましたが、恥ずかしいのと原爆症はうつると風評があり、誰にも言えませんでした。

辛くて、辛くて思い出したくもない昭和20年8月6日のことです。

被爆時の旧姓 上廣 美重子(17歳)
当時の住所  広島市的場町

追記 長男勉

母は87歳で亡くなりました。あの日のことは、決して多くを喋ることは有りませんでした。この記録は70歳を超える時胃癌で手術をした時に喋った事を記録したものです。

母の体は手術で切除していない箇所は無いほどに蝕まれていたのです。

厚生労働大臣には幾度と申し立てをしましたが、二度の却下と一枚の通知であり、たった2行の文字で終わりました。
政治家に原爆症で苦しい思いをした人達の思いを理解して頂きたかったものです。 

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