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感動して読んだ中学生の感想文 ―原爆語り部活動を続けます― 
佐藤 圭一(さとう けいいち) 
性別 男性  被爆時年齢 17歳 
被爆地(被爆区分) 広島(入市被爆)  執筆年 2022年 
被爆場所  
被爆時職業  
被爆時所属  
所蔵館 国立広島原爆死没者追悼平和祈念館 
令和4年11月4日、原爆の語り部をした。対象は東陽中2年8クラス、約300人である。
 
私は間接被爆なので話す材料が少ないが、友人の手記を語れば訴えることもあろうかと、倉敷被爆者会々長の依頼に応じた。が、中学生の感想文を読んで感動、生きている限り、ぜひ語り部活動を続けようと思うようになった。
 
感想文は、用紙1枚、そう長いものではないが、熱心に聞いてくれているという、彼らの思いが伝わってくるもので、ここまで聞いてくれていたかと、一枚一枚丁寧に読んだ。
 
私が訴えたかったのは「ノーモア・ヒロシマ」、ほとんどの子がそれを書いていた。①実際に体験した人の話が聞けて真剣に原爆について考えた。②戦争とは言え、罪なき市民が18万人死亡、8万人がけが、悲しい現実をいやというほど知った。③原爆の威力は想像以上で、家屋の倒壊、熱線による火災や無惨なやけど、水を求めての溺死、それらはすべて現実のものとは思えなかった。④核戦争は絶対にあってはならない。ノーモア・ヒロシマということがよく分かったなど。さらに⑤私たちの平和な日常をあたり前のことと思っていたが、そうではなくて、幸せなことなのだと思うようになったなど、私の方が却って中学生から学ぶことがいくつもあった。
 
原爆の悲劇を風化させないためにも、どの中学生にもすべて、さらには高校生にも語り部懇話会が用意されるなら、それに応えるべきだと今思っている。
 
私は8月11日、瓦礫の街を歩いた。地下道に横たわり水を欲しがる兵士を見た。友人は広島に居て校舎の下敷になり、命からがら吉島飛行場まで惨状の中を歩いている。
 
私の方がむしろ、感動をもらった語り部の令であったと言っても過言ではない。
 
 
山陽新聞「ちまた」応募原稿(令和6年3月5日掲載)
町を歩いていた。と、中学生らしい子が三人近づいてきた。「きみら、このおじいさんを知っているの」「はい、知っています」と言った後、3人が「ノーモア・ヒロシマ」と手を挙げた。涙が出るほどうれしかった。
 
1月26日、地元の東陽中学校で原爆語り部をした。2年生220人が体育館に居た。17歳の時の私の被爆体験に友人の被爆手記を加えて話した。14万人の命が一瞬にして消えた。ヒロシマの街は熱線で焼け野が原、爆風で瓦礫の街に変った。
 
生徒の熱心が伝わってきた。感想文には70%の生徒がノーモア・ヒロシマという言葉を書いていた。さすが東陽中、行き届いた教育を実感した。その延長線上に3人のノーモア・ヒロシマがあったのだ。このことは、その後も2度、3度と続いた。
 
生徒は真剣に語り部の訴えを受け止めてくれていた。ありがとう。語り部活動はやめられないなと、強く思ったことである。 

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