その時、私は広島市郊外の水分峡(みくまりきょう安芸郡府中町)の入口を歩いていた。爆心地から12キロメートルくらい離れた地点である。上空を、機体を光らせたB29が飛んでいた。当時、もうB29は見なれた存在で、そう珍しくはなかった。ひょいと見たら、飛行機の下に白い落下傘があった。たしか3個あったように覚えている。雲一つない澄んだ青い空。朝日にキラキラ機体を光らせ、旋回するB29、ゆらゆら落ちてゆく落下傘。きれいだった。
そんなとき、急に目の前で写真のフラッシュ、マグネシュームをたかれたような、強烈な光りがきた。「何だろう」、友人と2人、そんな話をしていた。そのうち、いとも不思議な現象があらわれた。池の中に小石を投げこんだとき、起る波紋、ちょうど、そのように、松の向うから虹が次から次と出てきた。とても美しかった。
ドカーン、ものすごい爆発音と爆風が襲ってきたのは、その直後である。
すぐ目の前の、直径30センチメートルもある松の木が大きくゆれていた。しばらくして、いわゆる原子雲がムクムクと頭をもたげてきた。真赤、いや違う、黒味がかった朱色、そんな気もする。とにかく、過去一度も見たことのない、あざやかで、強烈な色だった。
私がシャッターを切ったのは、最初、ムクムクと原子雲が頭をもたげてきたとき(第一巻グラビア写真)。そのあと、最初の雲はかなり高く上がり、そして、次の大きな雲の塊がまた出てきた。私はシャッターをつづけて切ったが、あまりにも大きいため、ファインダーに入らなかった。
出典 広島市役所編 『広島原爆戦災誌 第五巻 資料編』 広島市役所 1971年 983~984頁
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