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被爆体験について 
佃 正一(つくだ しょういち) 
性別 男性  被爆時年齢 20歳 
被爆地(被爆区分) 広島(直接被爆)  執筆年 1995年 
被爆場所 広嶌市比治山本町[現:広島市南区] 
被爆時職業 軍人・軍属 
被爆時所属 大本営陸軍部船舶司令部 
所蔵館 国立広島原爆死没者追悼平和祈念館 

昭和19年4月、一年繰り上げの徴兵検査で甲種合格で翌年20年1月20日に広島比治山本町暁部隊に入隊。

昭和20年8月6日、午前8時15分、原子爆弾に遭い一瞬に私しは何が起きたのか兵舎は倒れその下より命からがらはい出し四方を見れば一面火の海、兵舎より出て見れば此の世の物とは思えない景色。顔は焼、皮膚は爛れ手の皮は手首で巻き背中の皮は腰でぶら下りスルメイカを焼た時のように巻いて昼は30度の炎天の中を直射日光を受けて焼死ぬる。助けてと叫び夜ともなれば皮膚に凍みて寒い寒いと呻き此の世の物とは思えない。一日夜が明けてもまだ街は火の海。一般市民が兵隊のいる所に押寄せてくる。火傷の薬りは一日で無くなる。我隊の志願兵16才17才、朝礼の時手顔に大火傷。泣きたいのを我慢しているのが可哀想であった。まだお母さん助てと云いたい年頃であろう。

一例 母親子連で道を歩るいてる時、光を見て途端に体の下に、母親は手や背中に大火傷。でも子供は無事に頭をすりむきその後親子はどうなったかわからない。兵舎が倒れて比治山斜面で寝起をしている時、毎朝、何人もの死者が出来ていること。死者は一般市民の方方は死体収集車に、兵隊は一人づづ、誠になんとえも云えない気持です。

最後にいつまでも平和でありますように祈ります。

良い戦争はない 悪い平和はない 

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