亡き母・永石和子が命がけで書き残した原稿用紙50枚の被爆体験記、私がタイプ打ちし国立広島・長崎原爆死没者追悼平和祈念館に寄稿し、登録・公開されて来ました。母の祈りであった世界の平和のために、いつの日かこの体験記を英語に翻訳し世界中の方々に読んで頂きたい、と願っておりました。
友人の皆さまのご尽力でその願いが叶い、2019年6月7日、母の被爆体験記の英語版が完成致しました。香港在住の日本人のご婦人Wさん、オーストラリアのご夫妻JさんFさんが難しい翻訳を無償でお引き受けくださり、大切なお時間と大変な労力を尽くしてくださいました。
また、JさんFさんご夫妻の様々な国のご友人の皆さまが著述・編集・校正の仕事をされていて、翻訳について細部にわたり貴重なアドバイスを頂くことが出来ました。皆さま方に心から感謝の思いでいっぱいです。
皆さまの母に対する真心と、母の平和への祈りを世界中に、後世に繋いでいこうとの思いが一つになり、素晴らしい英語版の完成を見ることが出来ました。深い感動と感謝と共に国立広島・長崎原爆死没者追悼平和祈念館に寄稿し、同年7月3日祈念館に登録・公開されました。ホームページでも読めるようになり、母の平和への願いが世界へ羽ばたいてゆきました。
翻訳に携わってくださった皆さまは体験記のどんな小さな記述からも母がどう感じ、何を考えていたか、心を研ぎ澄まして細部まで感じ取って正確に伝えることを第一にしてくださいました。
母と一度も会ったことのない皆さまの真剣な姿勢に、私は母の苦悩や平和への思いがまだまだ分かっていなかったことに気づきました。母の思いを更に深く感じられるように心を磨いていこうと心に刻みました。
母は体験記のタイトルを「いのち」と名付けています。
母のかけがえのない命
母を救ってくれた命
母が繋いでくれた命
私に深い人生を与えてくれた命
翻訳を応援してくださった皆さまと繋がった命
母の思いと繋がった命
これから繋がる命、救える命、守る命…
「命の尊さ」「命の力」と向き合いながらの皆さまの労作業は、母の思いが引き寄せてくれたのではとしみじみ思いました。
母が引き寄せてくれた…今回の英訳は正にそのようなことの連続でした。英訳にはたくさんの課題があり、お引き受けくださる方が容易には見つからないと覚悟していました。母の平和への想いを感じてくださること、当時の時代背景や社会情勢を理解して頂けること、費用のこと、膨大な時間が必要なこと、等々。
始めに日本で通訳として活躍されている同窓の大先輩に相談、香港を薦めて頂きました。香港で平和関連の仕事をされている同窓の後輩に相談、英語が堪能で平和に対する想いの深いWさんをご紹介頂きました。
Wさんは母の体験記を読んでくださり、翻訳が難しく責任の重い作業にもかかわらず快くお引き受けくださいました。子どもの頃広島に住んでいらしたことから深い縁(えにし)と使命を感じてくださり、翻訳を決心してくださったそうです。
(後に、被爆後の母の避難先とWさんが住んでいらした所が近いかもしれないと分かりますます不思議なご縁を感じました)
次の課題はWさんのご依頼でプルーフリード(校正)をしてくださる英語を母語とする方を探すこと。かねてから親交の厚かったオーストラリアのJさんFさんご夫妻にご相談、快くお引き受けくださいました。
数か月前に私が地域の平和セミナーで母のことをお話した時にもご参加くださり、母の体験記を読み、母と私の平和への思いや草の根の活動に深くご理解を頂いていました。奥様のFさんは日本人、ご主人のJさんはオーストラリア人。お二人とも日本で教師のご経験もあり日本の歴史・文化に造詣が深く、広島・長崎を幾度も訪ねられて平和への想いの強い方です。
Jさんは最近まで日本の高校や大学の教壇に立たれていました。特に高校は様々な文化的背景を持つ生徒さんを多数抱える国際的な学校で、幅広い英語能力の皆さんを教えて来られました。英語版は母語としない方々にも読みやすいことも希望していたので、Jさんの懐の深さが本当に有難かったです。
またJさんは平和セミナー前日に急ぎ来日される機上で日本語の体験記を読もうと格闘された折り、難しい日本語の解説を乞うたキャビンアテンダントの女性が偶然にも広島出身、彼女もやはり縁(えにし)を感じて親身になって長い時間説明してくださったそうです。この方にも感謝の思いでいっぱいです。
Wさん・JさんFさんご夫妻は本当に最高の翻訳チームでした。海を越えてメールで何度も何度も検討を重ね、更に皆さまが東京にお越しくださり長時間にわたり納得のゆくまで語り合い、ある時は遠く旅先からご連絡を頂き、半年間で素晴らしい英訳版を完成させてくださいました。
英語版には16項目に及ぶ脚注を考えて丁寧に端的に説明を入れてくださり、母が体験したことをより身近に感じられると共に、当時の日本の状況を把握し理解を深める上でとても大きな力を頂きました。語学力の高さはもとより「心」があるからこそ成し遂げられたことと改めて感謝の思いが溢れてまいります。
皆さまが真心を尽くしてくださった翻訳が、英語圏の方と共にアジアを始めとした英語を母語としない方々にも理解されることを心から祈っております。
更に、英語に堪能な日本の方からも「日本語である程度のスピードで読み理解し、英語ではゆっくり読むため更にイメージが湧きやすく、より理解が深まりました。」との感想を頂き、英語版は日本人にとっても母の体験を理解する幅が広がることが分かり、予想以上の反響となりました。
皆さまのご尽力で英訳版が完成間近になったことを2019年6月2日富士山麓の母の墓前に報告致しました。母の3人の子どもから10人の孫と6人のひ孫へ…連れ合いも含めいつの間にか大所帯になりました。
母が繋いだ命がこんなにも広がったことに感慨もひとしおで、命をかけて産んでくれた母の恩愛が心に沁み渡りました。数年すればひ孫達も母の体験記を読める歳になります。
母が体験記を書き残すことは苦しく辛いことだったに違いないでしょう。その苦悩を越えて、けして忘れてはならない歴史を残し、自分の言葉で平和を伝えよう、と堅く覚悟を決めてペンを執ったことと思います。
母は書き残したことで、会えることのないひ孫達、世界中の若い方達と今この体験記を通して平和への対話をしているのだと思います。母が孫を抱いていた時の慈愛に満ちた笑顔を思い出します。母はその笑顔で世界中の若者の「いのち」をずっとずっと温かく熱く力強く見守っていることと思います。
また、2020年7月20日発刊の月刊誌が8月号平和特集に母の体験記と平和の語り部の活動、私が受け継いだことについて5頁も掲載してくださることになりました。
QRコードから平和祈念館の母の日本語・英語体験記のページへのリンクも載せて下さいました。出版社に感謝しますとともに、被爆75周年のこの夏に一人でも多くの皆さまに実際に体験記を読んで頂けることを心から願っております。
2020.7.16
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