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被爆について思うこと(平成27年度) 
更科 洵爾(さらしな じゅんじ) 
性別 男性  被爆時年齢 16歳 
被爆地(被爆区分) 広島(直接被爆)  執筆年 2015年 
被爆場所 旭兵器工業(株)(広島市南観音町[現:広島市西区〕) 
被爆時職業 生徒・学生 
被爆時所属 広島県立広島第一中学校 
所蔵館 国立広島原爆死没者追悼平和祈念館 
八月六日、一六歳の広島一中、学徒動員で観音町の旭兵器(四キロ)、にて被爆、『解散』と先生に言われたものの燃えている市に入ることも出来ず、橋は火を逃れてくる怪我人、死者、で渡る事も出来なかった。

八月七日、同僚の寄宿舎生四人で入市、鷹野橋に着くまでに五千人ぐらいの犠牲者を見る。『学校に行こう』と皆で一中に向かうものの学校が見つからず雑魚場町(ザコバ町)でウロツキ 石の校門(一/二キロ)を見つけたものの残っていた物は校舎の基礎台と死体ばかり。

日赤にて救助しようと寄り、ソテツの茂る表庭は被爆者で埋まり、院内は医師、赤く染まった看護婦で身動きも出来なかった。薬、包帯、何も無し。
生きている人に『水、みず』と叫ばれチビリチビリ、飲ませました。振り返るとその人達は息を引き取って居た。『モット飲ませてやればよかった。』

八六歳の私はCalifornia、デズニーランドの近くに住んでおります。
日、英語が話せるのでLos Angeles米国広島―長崎原爆被爆者協会の理事としてアメリカの約二五〇人との連絡を保ち厚生労働省、広島県市、長崎、広島県医師会、医療費、手当て、申請等の連絡、申請を五〇年お世話しております。
特にLos Angelesにての広島県医師会による渡米検診のお世話をしております。

Los AngelesのTV Stations、お寺、学校、米国医師会で被爆者の英語講演をしております。特に大学では熱がこもり若い人たちに『非核』の気持ちが少しずつ伝わっている事が分かります。

私は高齢により体も自由に動かなくなりました。
・白内障手術 両眼
・両膝取替え手術『歩行困難』
・盲腸癌、大腸手術
・背骨手術

今は病院通い、リハビリで多忙な毎日です。
・子供(一人)に老後の生活を見て貰えるか。
・老人施設に入るか?
・家にて介護サービスを受けられるか?
・医療費として厚生省がどれだけ援助してくれるのか。

老齢化する私達は(家内も被爆者)老後の生活に不安を感じております。
外地在住被爆者の生活安定のために介護援助の方針を厚生労働省にお願いするしだいです。



  

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