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未来への伝言 被爆の体験と証言 
下川 定五郎(しもかわ じょうごろう) 
性別 男性  被爆時年齢 40歳 
被爆地(被爆区分) 広島(入市被爆)  執筆年  
被爆場所  
被爆時職業 一般就業者 
被爆時所属 住宅営団 
所蔵館 国立広島原爆死没者追悼平和祈念館 
原爆投下時にいた場所と状況
山口市
住宅営団の山口支所に単身赴任していた

一 ぜひ伝えておきたい、あの時の光景や出来事(あの日)

八月七日夕方、広島市外己斐駅に山口市から出張のため到着。駅前市電に乗車しようとした所、電車内に死者数名あり、大変驚いた。己斐より牛田まで徒歩で電車道を辿って帰った。途中道路に爆死者あるを見て歩いたのは今思えば何とも表現に苦しむものである。家族は妻と長女の二人は被爆時は、広島市牛田にいたが、幸い室内の為、特に外傷もなかったが、妻はその後弱体となり、精神的にも相当異常となり、入退院の日々であったが、昭和三六年七月病院で死亡した。長女は特に異状なく現在健康である。

八月七日、市内に入った私は、まるで夢を見ているような状態であった。突然『水を呉れ』という叫びが聞こえた。見ると、ガレキの上にあお向けに横たわっている人があった。上半身が真白に、豆腐のように煮えていた。顔はほとんど形もくずれ、指を触れるとグチャつと潰れそうに見えた。豆腐そっくりであった。その姿を見た途端、私の記憶はすっかり脱落してしまった。その日何を見たのか、何をしたのか、何一つ思い出せない。その場所が市のどの辺りだったかも分らない。一緒に歩いた学友二人の話では、一日中、市の中心部を歩き回ったと云うのだが。あの姿が何時も私に呼掛ける。『水を呉れ』と。


  

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