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未来への伝言 被爆の体験と証言 
出島 艶子(でしま つやこ) 
性別 女性  被爆時年齢 18歳 
被爆地(被爆区分) 広島(直接被爆)  執筆年  
被爆場所 広島中央電話局(広島市下中町[現:広島市中区袋町]) 
被爆時職業 公務員 
被爆時所属 内閣逓信院広島逓信局広島中央電話局 
所蔵館 国立広島原爆死没者追悼平和祈念館 
原爆投下時にいた場所と状況
広島市下中町
広島中央電話局
木造の建物は全かい

一 ぜひ伝えておきたい、あの時の光景や出来事(あの日)
下中町、広島中央電話局加入課窓口に座っていて局が爆発したような大きな音と真暗になった。顔と両手頭などガラスのけが。局の周囲は見える所は全部なくなっていて、けむりが出ていた。局の中もメチャメチャアにこわれていて、けが人だらけ。外に出て袋町小学校の子どものやけど姿を見ておどろいた。

二 被爆後の病気や生活や心の苦しみ(戦後)
呉市に住むことになったが、発熱、げり、脱毛などをくりかえす。顔のけががひどく髪の毛はなく、とてもはずかしくて頭巾をかぶってくらした。

別れていた母の所で世話になったが、三人も増えたことで食べるものに困った。動けるようになって広島へも働きに行った。弟と妹のために生きようと自分にいいきかせて働いた。度々原因のわからない発熱になやまされた。

三 今、被爆者としての生き方と、訴えたいこと(現在)
子ども三人、孫三人の健康のことが心配。

世界中の人に原爆のおそろしさを知ってもらいたい。そのためにも被爆証言運動を続けていきます。再び被爆者をつくらないために。原爆投下は国の責任で始めた戦争が原因であることを認め、援護法の内容の充実を求めていきたい。

核兵器はどこの国にも必要ないものと思います。一日も早く一発もなくなることのためにも運動をしていきます。
  

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