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被爆について思うこと 
難波 亘(なんば わたる) 
性別 男性  被爆時年齢 18歳 
被爆地(被爆区分) 広島(直接被爆)  執筆年 2005年 
被爆場所 広島工業専門学校(広島市千田町三丁目[現:広島市中区千田町三丁目]) 
被爆時職業 生徒・学生 
被爆時所属 広島工業専門学校 
所蔵館 国立広島原爆死没者追悼平和祈念館 
アメリカ生れの私が最初、アメリカに帰米した一九五二~一九五六年頃、私が広島の被爆者である事を知って、会社の同僚の中には、原爆が落された為め終戦が早められたと思わないかい…と押しつけがましく意見を通そうとする者もいました。其の後ロシヤの原水爆の開発が急ピッチで進み、アメリカに追ひついて来た頃から、やっと自分の住むロスアンゼルス市に一発でも原爆が落ちると、どういふ事になるか、良く判って来た様でした。次第に余り話したくない話題になりました。恐らく到底結論の出ない此の爆弾投下の正当性についてですが、何んの予告も無く、何時もの様に平和な生活を送ってゐる母子や老人達の上に落した事は真違ひだったと思ひます。

一人息子を此の日、全身真黒に火傷で失った叔母は、あの日の事は一生忘れる事は出来ない、忘れろ…と云ふ方が無理だと申します。投下の命令を大統領が下しても、それを何処に落すかと決めた人々の良心、常識、人間性に思慮不足があると思ひます。アメリカは少し早やまった。

今や、世界各国、「パキスタン」「インド」「北朝鮮」「イラン」等が核保有国になったり、なりつゝ有る現状で、自分の国を自分の力で守る事の出来ない仕組みになった日本、どうしても他国の軍隊に頼る国柄、外交も難しい(見ていて歯痒い)。徴兵制度の無い若者は、世界のどんな小国でも、自分の国を守り、国旗、国歌に敬意を表する、その心情が判っていない様に思ひます。

戦後六〇年です、そろそろ世界共通語である英語も身につけて、特有の自国文化丈けに力を入れず、もっと世界を理解した認識を持って戴き度いと思ひます。

恐らく多国民族が日本の社会にも入って来るでせう、そんな世相に馴れたリーダーも現れる事と思ひます。

原子爆弾が投下されたとき(原子爆弾が爆発した瞬間)にいた場所
広島市千田町 広島工業専門学校 機械科講義室(二階)

被爆したときの状況
昭和二〇年八月六日午前八時空襲警報が解除された直後、八時一五分頃、木造講義室二階に於て強烈な閃光が右側窓から教室内外一面に広がり何も見えなくなると同時に熱空気も侵入、堪え難い情況になったなと思った途端爆風圧により崩壊された大型木造梁の下敷きになってゐました。教室の机と机の空間に身を横たえたお蔭げで圧死負傷を免かれてゐました。爆発直後の教室内は真黒、「すゝ」とも「ほこり」とも云えない粉塵で抱まれて真暗い状況が数分続いてゐました。這って木造建築から逃れ正門に近い庭に立ち級友同志怪我の様子を確め合ってゐました。

工専校庭よりの判断で、安芸郡府中町コゴモリの自宅方面への避難は、比治山一帯の火事により不可能と思ひ、反対の古江、己斐方面に向ふ。途中「井の口」に至るまで黒い雨の豪雨にあひ、ずぶ濡れとなり、農家軒先で休息後、正后頃己斐中町の親戚川本秀雄(叔父)宅を訪ねて火傷をうけて帰宅した従兄弟の川本恭生(広島市立中学一、二年生)の介抱を手伝ひ、夕刻五時頃、横川、二葉の里の順に鉄橋を渡って広島駅前に出て、松根油の燃える尾長方面は止めて大洲の国道に沿って道路一杯の負傷者の間を通り夕刻八時頃、鹿籠二丁目三の八号の自宅に帰宅。血の塊りとガラス片で一杯の頭髪を洗ひ、一風呂浴びて休む。

昭和二〇年八月七日
鹿籠の自宅の清掃、修理を手伝ふ。従弟恭生の死亡通知を受ける。

昭和二〇年八月八日~八月九日
燃える広島市内を本通り、紙屋町、中島等と通過し、祖父と共に己斐の川本秀雄宅に向ふ。死体火葬を手伝ひ、夜は偵察と思へるB29の飛来を気にしながらも燃え盛る山頂で死体火葬進行を止める昭和二〇年八月九日。事出来ず朝までその儘火葬を完遂、葬儀を済ませて、昼頃(八月九日)再び炎熱の広島市内舗道を祖父と共に徒歩で鹿籠の自宅に帰る。

昭和二〇年八月九日より八月一九日迄
此の日より一〇日間、原爆症にて激しい倦怠感と無気力に襲われ床につく。鼻に止まった蠅を追払ふ為めの手も上がらず。此の間喉に通したものは「どくだみ」の茶のみ、食慾全く無し。

昭和三五年(一九六〇)
在米。ロスアンゼルス市。「ノースアメリカン航空機製作所」に於て献血運動に志願した折、会社医者より赤血球数の減少を理由に断わられ、而来毎年血液検査は行ってゐます。
  

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