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原爆について思うこと 六十年の思い 
増井 竹代(ますい たけよ) 
性別 女性  被爆時年齢 26歳 
被爆地(被爆区分) 広島  執筆年 2005年 
被爆場所  
被爆時職業  
被爆時所属  
所蔵館 国立広島原爆死没者追悼平和祈念館 
昭和二十年八月六日原子爆弾投下。幾十万の方々が亡くなられた。戦争と云うもののむごさ、痛ましさ、を忘れさることは出来ない。

苦しみて逝きし人達(ら)しのぶなり。

み霊(たま)安かれ。原爆記かく。今までも体験記として市役所の方へ送ったこともあります。

市役所の職員として身はかえりみもせず多くの苦しむ方々を介護し亡くなった方々のみ霊を守り語り部として一生懸命だった親友も亡くなり十年すぎてしまいました。

原爆のこと一言も語ることなく主人も亡くなり十年になります。

原爆を語りつぐ人はやがて亡くなります。若い人達に原爆の戦争のおそろしさを知ってもらうこと、これからの子や孫達に戦争の無い平和な世代が続くことを念じるだけです。むごい此の世の地獄だった原爆に会い不安だらけの生活に今日まで生かされてきたことのお蔭さまをかみしめております。

せめて元気な内にと原爆慰霊碑めぐり(二八回二九回三〇回三一回)続けられることの意を決したものの余りにも多くの碑のあるを思うと半分も順拝出来ておりません。助けて!水を・水をと云う人をどうすることも出来ず、逃げのびた申し訳なさのこと慚愧の日々手を合せております。

多くの方々の尊い犠牲の上に出来た平和を無にすることなく守り続けること、これからの子や孫達に明るい平和の続きますように念ずるのみです。
                                                     合掌

平成十七年

  六十年目の日の思い 

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