弟よ
きみの命日が来る
少年といってよいか青年とよんでいいか
十八歳で人生を終ったきみの命日がくる
弟よ
人間の死にはさまざまあるが
きみの頬のうえにしたたるのが
おふくろの涙だと知って死ねたのを
せめてしあわせと思ってくれ
ジャングルの奥ふかく
ひとりで朽ち果てたのでもなければ
呼吸を止め耐えに耐え
ついに海底に
沈んでいったのでもなく
額を鉄帽もろともうちぬかれたのでもなく
死ねたのだから
空腹も
人肉を喰らうことをふと考えてみるような
それではなく
とにかく大豆に鉄道草の雑炊があり
口に流し込むや嘔吐と下痢にみまわれ
胃袋がうらがえしされたとしても
とにかく
食物らしきものがあったのだから
弟よ
流出する血液を
うつろになってゆくわが目でたしかめつつ死ぬのでなく
洗面器に吐いた血は
すばやくきみの目からとおざけるおふくろがいたのだから
頭髪が抜けおちれば鏡をひたかくし
たとえ薬も医者も看護婦もなくても
うち割られてくされてゆく片足を
よっぴて抱きしめてくれるおふくろがいたのだから
炎の下を這いながら目撃した
一瞬に消えさる死と
家屋の下で焼き殺される死の
そのどれでもない死を
おふくろの両腕の中できみは死ねたのだから
小学校の校庭で
たとえきみがまぐろのように積みあげられ
石油をかけて焼かれたとしても
決してきみはひとりぼっちではなかったのだから
きみとしっかりおり重なっているのは
妹のような可愛い女の児
昔話をはじめたら止まらなくなる働き者のぢいさん
世話好きで陽気なおかみさん
きみの手をつかんではなさない男の子
おっぱいの香りもうせぬあかんぼうたち
みんなきみと一緒なんだから
まして
悲しみにみちた眸に囲まれてきみは炎になったのだから
弟よ
またきみの命日が来る
きみの逃れたみちを逆に
またひろしまの都心へと人々が行進する
もちろんきみも一緒に歩いてゆく
あらゆるスローガンをなみうたせて
血の沸騰したぬくもりが
靴底からはいあがる広島の舗道を
敷きつめられた二十万の背すじをたどり
ひとつの流れになって結集するとき
弟よ
笑みをみせてこちらに合図をしてくれ
出典 広島詩人会議編 『四国五郎詩画集 母子像』 広島詩人会議 一九七〇年三四~三七頁
【原文中には、ジェンダー、職業、境遇、人種、民族、心身の状態などに関して、不適切な表現が使われていることがありますが、時代背景を理解していただくという観点から、原文を尊重しそのまま記載しています。】 |