原爆が落ちた際は自宅にいた。
母はすでに亡くなっており六歳下の弟は学童疎開をしていたので当時は父と二人で暮らしていた。父は日本製鉄に勤めていて、当時「電気休み」と言う休日があった。電気休みとは工場の電気を使わないようにというものでこの日は休みで家に居た。
八時一五分に原爆が投下、家が崩れる。自分は枕をはたく為庭に出ていたので助かったが、父が家の下敷きになる。必死で表通りの軍人さんに助けてもらい父は助かった。
被爆のケガは右腕の五センチメートルくらいの筋の様なケロイドがある。顔は飛んできた爆風で破片が突き刺さり血だらけになり五年くらいは傷跡が残っていたが現在は残っていない。
夜になり人魂をたくさん見た。死んだ人の屍の臭いがした。
黒い雨が降り濡れた。自分が歩いている足元は死体が沢山あった。
大多川に屍がいっぱいあって目玉が飛び出していたのがとても怖かった。
今も時々大多川の夢を見てうなされる。
済む家が無い為父と愛媛県の祖父宅に移る。それ以降広島には戻っていない。
今の思い
広島に戻りたいとは思わないが行ってはみたい。幼少時代に育った白島中町がどのようになっているのか見てみたい。
祖母がこの年の七月に亡くなって仏壇に遺骨を置いていたのが爆風で飛んでしまい見つからず。お墓に入れてあげれなかったことが悔いる。
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