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未来への伝言 被爆の体験と証言 
塩浜 芳郎(しおはま よしろう) 
性別 男性  被爆時年齢 7歳 
被爆地(被爆区分) 広島(直接被爆)  執筆年  
被爆場所 広島市矢賀町 
被爆時職業 児童 
被爆時所属 国民学校 1年生 
所蔵館 国立広島原爆死没者追悼平和祈念館 
原爆投下時にいた場所と状況
広島市矢賀町
〇当日は学校の登校日で近くの公民館に集合した。自分は二階のおどり場にいた。

一 ぜひ伝えておきたい、あの時の光景や出来事(あの日)
とにかくピカッと光ったまでは覚えている。あとは気が付いたら二階ではなく一階の入口附近にほうり出されていた。急いで自宅に帰えったら家は押しつぶされペシャンコの状態、母は風呂場で洗たくをしていたが爆風で外へとばされ、腰を強打したが無事だった。
 
妹は近所の子とママごとをしていたがのき下にいたのでヤケドはしなかった。友達は外にいたので大ヤケド、二日後に死亡。ホンの三〇センチの差で運命が変った。しばらくすると市の中心からヤケドした人達が水、水、と云いながら逃げて来た。その光影は絶対に忘れられない悲惨なもの。当時一年生だったが全て記憶している。

二 被爆後の病気や生活や心の苦しみ(戦後)
小学生、中学生時代は相当の貧血、頭痛に悩まされたが高校生から幸いにも健康を取り戻せた。
 
両親も何とか元気を保ってくれたので大きな病気にかゝらずに済んだ。たゞ広島時代の友人の消息は全然つかめず生存しているのか否か心配が続いた。今も何もない。
 
幼年時代の記憶は広島のピカドンだけになってしまった。

三 今、被爆者としての生き方と、訴えたいこと(現在)
一度は死んだ自分だ、と思うと何でも耐えることが出来た。苦しい時はいつもこう考えることにしている。そうしないと死んでいった人達に対して失礼だ。自分達にかわって犠牲になった人達に申し訳けない。強く生きたい!
 
たゞ戦争は一部の人達のエゴで起るもので善良な市民を巻き込むことは絶対に許されるべきでない。
 
平和のみが人類の幸福につながる。一番むつかしい事であるが……。 

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