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被爆体験について 
津島 休映(つしま よしえ) 
性別 女性  被爆時年齢 15歳 
被爆地(被爆区分) 広島(直接被爆)  執筆年 1995年 
被爆場所  
被爆時職業 生徒・学生 
被爆時所属  
所蔵館 国立広島原爆死没者追悼平和祈念館 
八月六日の五〇年前は暑くよいお天気で上級生と空襲警報警戒警報も解除となりその日は日本製鋼所への動員の日ではなくて、登校日で、広島市愛宕町上り踏切東側、二〇米位の文具店の前で急に真暗になり熱い灰のようなものと共に、一〇米ぐらい吹き飛ばされ、一瞬息もできませんでした。

そのうちだんだん明かるくなって、一緒の上級生は見当らなくて、私は、家に帰りました。途中、家の中から出てこられる方々が、血を流しておられ私もと思ってみましたが、私は、血はどこも流れていませんでした。家に着くと、家族も何とか無事で、祖父が、頭から血を流していました。

祖母、叔母、姉達は、どこもどうもなくてよかったねと云い合いましたが、私は、顔、半袖を着ていたので腕から手の甲、足は下駄をはいていたので、足の甲と火傷でひりひり痛く、道のポンプで顔を洗い、腕や足の甲を水で流して冷やしました。そのうち火事がこちらに迫ってくるというので、大内越峠に逃げ山にいましたら雨が降りこれが、黒い雨だったのですね。中山の知人宅にその夜は泊めてもらうため行く途中、全身火傷の人達が、道路一ぱいに歩いたり座ったり寝ころんだりで、この世の地獄でした。水をくれ水をくださいと、みんな云っておられました。

私は夕方から顔は水ぶくれで目はつぶれ、腕も、足も水ぶくれで、歩けなく、父に負われて、治療してくれるところがあると云うことでつれて行ってもらいましたが、油をぬって頂いただけでした。あとは、きうりのしるがいい、人の灰がいい、じゃがいものすったのをはるといいと、聞いては、やってもらって、結局何がよかったのか、ひっぱりもなく、あとは残りましたが、おかげ様できれいに治りました。家族に感謝しています。家はその日のうちに類焼で、何もなくなり、一ヶ月位知人宅でお世話になり掘立小屋に家族六人ざこ寝で過ごしていました。ひどい台風があったとき、バラックの屋根が、吹き飛んで夜寝ていたときでしたので、大そうどうしたのを覚えています。

火傷の痛さは今も忘れられません。 

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