当時、宮島線高須に住んでいました。
夏休みと云うのに登校しており、草津小学校六年生でした。登校途中ピカッとし、顔が熱くなりました。帰宅してみると、着ていた洋服の花柄の黒い部分だけ穴があいていました。
家はガラスは一枚もなく、床の間には、爆風で一かかえもある大きな石が、壁をつき破って、入っていました。
やがて町の方から、裸のヤケドした人達が、線路づたいに歩いて逃れて来ましたが、力つきて、我家の縁の下にもぐり込んでは、水、水、と云って死んで行きました。又家の前の畠では、沢山の死体を焼いたのをおぼえております。
私達家族の者は、その日の夕方、中心の方に様子を見に行き、何もない現場を目のあたりにしました。 |