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戦争が二度とないことを切に願います 
小田 和子(おだ かずこ) 
性別 女性  被爆時年齢 18歳 
被爆地(被爆区分) 広島(直接被爆)  執筆年 2015年 
被爆場所 広島電鉄㈱ 己斐停留所(広島市己斐町[現:広島市西区己斐本町一丁目])-電車 
被爆時職業  
被爆時所属  
所蔵館 国立広島原爆死没者追悼平和祈念館 
「戦争が二度と、ないことを切に願います」

~被爆時の経緯~
当時、一八歳。少しいつもより遅れて通勤。己斐電停に着いて、電車の中ほどに立っていたが、最後に降ることになり、電車の中で一人となった。その時、外でピカッとした。ステップを降りようとした瞬間に飛ばされたようだが、よく覚えていない。気が付いたら、線路にねていた。周囲の気配なく、はいながら、動き出して、自転車置き場へ入ったようだ。それから、よそのうちのソファーにいつのまにか、座っていて、少しねころんでいた。飛ばされてから、ここまで、暗闇。

女の人の声が聞こえたので、誰かいると思って、また動きだして、やっと歩き出した。胸を痛めたのか、ブラウスの胸の部分が焼けて、やぶれていた。黒い雨が降りだした。同級生の女の友だちに声をかけられて、一緒に自宅のある五日市方向に向けて歩き出した。

途中、草津で、外にあるポンプを見つけて、二人で交替で、ポンプの水で身体を洗い流した。髪や顔、服も、洗った。

また、歩き出し、井口で、兵隊さんに声をかけられた。

どうしたかきかれ、服が焼けているので、薬をくれた。まん前のおうちの水をいただいて飲んだ。またしばらく歩き、鈴が峰近くで、くらくらしだして、吐いた。真黒い泥土のような、どろどろっとしたものが、たくさん口から出た。よそのお宅の庭であった。立つことは、もうできず、そのまま、その家で休ませてもらった。五日市の母たちがリヤカーをひいて、迎えにきてくれ、リヤカーに乗せられ、帰ることができた。

家での療養期間はよく覚えていないが、家が薬局で薬がたくさんあった。注射をしてもらったりした。ビタミン注射だと思う。

生理も止まらず、髪の毛も抜けず、外傷もなく、無事であった。ただ、身体は、弱かった。現在は、糖尿病、高血圧、等々、あちこち悪く、近年、悪性リンパ腫になったが、二年目を無事に迎えることができた。
  

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