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未来への伝言 被爆の体験と証言 
上浦 美代子(かみうら みよこ) 
性別 女性  被爆時年齢 23歳 
被爆地(被爆区分) 広島(直接被爆)  執筆年  
被爆場所 広島市平塚町[現:広島市中区] 
被爆時職業 軍人・軍属 
被爆時所属 海軍艦政本部 
所蔵館 国立広島原爆死没者追悼平和祈念館 
原爆投下時にいた場所と状況
広島市平塚町
母が病気をしておりましたので監督官は休みをとり家に居り母と二人で居りました。

一 ぜひ伝えておきたい、あの時の光景や出来事(あの日)
母が病気で部屋に床に付いて居りました。私は海軍を休みを取りお勝手に居りました。外が洗場で家に入った途端ピカ・ドンと爆弾が落ちました。私の家はペチャンコになりましたが町会の方に助けて頂き親戚の人に道を教へて貰い、ただ広島駅に逃げ又比治山の山に登りました。

平塚町は真赤に燃えていました。私は東京から持って来た物、着物、何もかも燃えつくしました。下駄も何もありませんので痛かった事を覚えて居ります。でも母も元気になり一年位東京で生きて居りました。

二 被爆後の病気や生活や心の苦しみ(戦後)
東京に家がありましたので帰り結婚しました。然しピカ・ドンを受けてゐるせいか、何かあると出血しやすくこまります。でもおかげ様で病院に見て頂き今日まで元気に過す事が出来ます。
有難う御座います。

三 今、被爆者としての生き方と、訴えたいこと(現在)
被爆者として何やかやと苦しみました。

二度とピカドンを落さない様に、お願いします。

いろいろと私達の為に、御尽力有難う御座います。
  

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