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未来への伝言 被爆の体験と証言 
藤原 錞子(ふじわら じゅんこ) 
性別 女性  被爆時年齢 11歳 
被爆地(被爆区分) 広島(直接被爆)  執筆年  
被爆場所 広島市牛田町[現:広島市東区] 
被爆時職業 児童 
被爆時所属 牛田国民学校 6年生 
所蔵館 国立広島原爆死没者追悼平和祈念館 
原爆投下時にいた場所と状況
広島市牛田町
牛田小学校へ登校する途中畠(タンボ)の手前

一 ぜひ伝えておきたい、あの時の光景や出来事(あの日)
空襲警報が解除になったので学校へ行く為、人家を通っていたら情報を知せるラジオの音がしたので、人家の前で立ち止まった時、光が田ん圃を横切り前の家がくずれるように爆風が走って、思わずその場で日頃教えられていた地面にふせた…一瞬の出来事で何かわからず、近くのワラ吹きの家が燃えていたので、そこに爆弾がおちたのかと思った。

近くの人が血をながして家から出て来たり、ボンヤリ疎開していた叔母の家へ向って歩いていたら、たおれている人も居り、私は家と家の間に居たので少しのヤケド丈ですんだ。髪がやけてチリチリになっていたのが当時はちょっとパーマのようで面白く思った。

二 被爆後の病気や生活や心の苦しみ(戦後)
一週間で東京から母と兄が迎えに来たので、その間爆心地に祖母をさがしに何べんか行ったが何事もなく、唯、結婚の折相手にきらわれるのではないかと母はひどく被爆したことをかくしていた。

子供も一人丈でしたが、無事に出来現在まで何事もなく過しております。

三 今、被爆者としての生き方と、訴えたいこと(現在)
現在主人も居り、体も一応元気なので特に申し上げることはありません。
  

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