原爆投下時にいた場所と状況
広島市東千田町
自宅に在宅中
一 ぜひ伝えておきたい、あの時の光景や出来事(あの日)
頻繁に発令されていた空襲警報が解除されたとたんに、今まで見たこともない稲妻のような閃光が走り、全身を叩きつける爆風と肌を突差す痛みにおそわれました。
一瞬何が起きたのか、失いかけた意識の中でふと気がつくと、家の中のガラスは飛び散り壁は崩れ見るかげもありませんでした。痛みと流血のなかで我身をみると肌に無数のガラス片がささり、どうすることも出来ませんでした。愛用の机にのせていたガラス台はアメのようにとけ、ねじれていました。
二 被爆後の病気や生活や心の苦しみ(戦後)
被爆後身寄りを失い私は東京の伯母をたよって上京いたしました。原爆投下をもって迎えた終戦後、人々は原爆のもたらした被害と放射能による人体への影響を口にするようになり、被爆した私は何か特別な環境におかれる思いがいたしました。いつしか自分が被爆者であることを隠すようになりました。
三 今、被爆者としての生き方と、訴えたいこと(現在)
私が一番美しく、来るであろう平和な日々を心待ちにしていたとき、一瞬の出来事が全てを変えてしまいました。
そんななかで良き伴侶にめぐり会い心の平静をとりもどし、そこで子供にも恵まれ幸せな家庭をもつことが出来ました。しかし心が受けた傷は消えることはありません。二度とこの様なことを起してはなりません。私達が受けたこの苦しみをあじわうことのない世界が来ますように。
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