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未来への伝言 被爆の体験と証言 
新川 芳枝(にいかわ よしえ) 
性別 女性  被爆時年齢 19歳 
被爆地(被爆区分) 広島(直接被爆)  執筆年  
被爆場所 広島市牛田町[現:広島市東区] 
被爆時職業  
被爆時所属 芸備銀行 
所蔵館 国立広島原爆死没者追悼平和祈念館 
原爆投下時にいた場所と状況
広島市牛田町 家の玄関前
家の前のしゅろの木に火がついて燃え出したので防空壕の水で消した。爆風で屋根瓦が飛んで来て右足に怪我

一 ぜひ伝えておきたい、あの時の光景や出来事(あの日)
中心地に近い芸備銀行に勤めていましたが、一週間前に結婚し休暇を取って休んでいました。丁度あの時間は主人を見送って玄関周辺を掃除していて、爆風で屋根瓦が飛んで来て右足に傷は浅いが打撲がひどくてみるみるうち足先から大腿部迄腫れ、同居していた姉は家の中でガラス片を顔に浴び七月二十日に生まれた姪は布団にくるまっていて無傷、向い側に住んでいた母は縁側のガラス片を全身に浴び大怪我。

大手町と流川に住む伯母を二人あの日に亡くしました。主人は幸いに電車の中(荒神橋)でしたが無事帰宅し、直ぐ吐いたのがよかったのか(本人は別に提出)現在まあまあの健康。

私は勤め先の公金課の九人の中、六人死亡で私も当然に、出勤途中でしたので今、生きていること考えさせられます。投下後二時間位頃より、家の前を怪我した人、火傷を負った人々が通るが私もびっこをひいてどうすることも出来ず、家は半壊で足の踏み場無く、足の打撲は五十年経ても痛みを引きづっている状態です。

二 被爆後の病気や生活や心の苦しみ(戦後)
当時は若かったので右足の打撲も一進一退で、ひどく痛む時のみ通院し、一寸したけがでも当時は、直ぐ化膿はしていました。

五十才半ばからの痛みは片方の足にも負担がかかり疲れ易いです。腫れは五十年も治らないので完治することは諦めていますがお行儀に坐れないのは苦痛です。

病院から貰った抗生物質の飲みぐすりも今迄はよかったのが、先日同じ薬でもひどいじんましんが出たりして驚きました。

病気も之からだと健診を怠らないようにと想います。

三 今、被爆者としての生き方と、訴えたいこと(現在)
生き残った被爆者たちも老いゆき、あの地獄を招かぬ為にも人間の尊厳をあれ程迄に踏みにじった残忍な原爆は二度と繰り返してはいけない。

平和の尊さと戦争の残酷を証明せねばなりません。
  

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