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未来への伝言 被爆の体験と証言 
鈴木 操(すずき みさお) 
性別 女性  被爆時年齢 9歳 
被爆地(被爆区分) 広島(直接被爆)  執筆年  
被爆場所 安芸郡中山村[現:広島市東区] 
被爆時職業 児童 
被爆時所属 国民学校 4年生 
所蔵館 国立広島原爆死没者追悼平和祈念館 
原爆投下時にいた場所と状況
広島市中山町
一号(直接)被爆

一 ぜひ伝えておきたい、あの時の光景や出来事(あの日)
小学校四年生以上は夏休みもなく毎日登校・校庭(中庭)にて朝礼の後・履物も無い時代で藁ぞうりの作り方を習っている最中でした。ふと青空を見上げると南から西に向かって白く長い飛行雲を引いて飛んで行く二機のB29「あれーあれー」と指差していたところ、ものすごい閃光とドーンと耳をつんざくような音。先生の「照明弾だ。伏せろ」と言う声に私達は何が起ったのか解らず校庭にうずくまってしまった。先生の誘導でひとまず山の方に向って歩き出す。後方を振り返るとこれ迄見た事もない大きなきのこ雲、その驚きは怪物にでも出合った様であの恐しさは忘れる事ができません。

一時間後それぞれ家路に着いたのですが、爆風で家中足のふみ場もない程の有様。

その後の道路は焼けたゞれた多くの人が市内から次々とたどりつき、小学校あたりでは火の手のない事を見届けると、今迄張りつめていた気力を一度に失いパタパタと倒れていったのです。

その後小学校校舎は、割れたガラス机椅子等片づけ避難場所となったのです。校庭の半分は給食用のさつま芋畑だったのですがその日の夜からは身長分の穴をいくつも掘って焼き場と化したのです。

二 今、被爆者としての生き方と、訴えたいこと(現在)
永遠に平和であるよう祈ります。
  

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