私は四年前に胆のうがんの診断を受け、胆のうを摘出しました。放射線治療と抗がん剤の服用を約一年続けた後、がんが残っていないことを確認しました。しかし、三年経った昨年春、胆のうの摘出痕にがんが再発していることが認められました。
私は、甲友会の一員として、長らく被爆者活動を続けて来ました。今年は、その節目として、八月六日の原爆死没者慰霊式典に、山梨県代表として出席し、既に故人となられた先輩諸氏に、私が被爆者の一員として、被爆者活動を継続できなくなった現状をお詫びするとともに、私の考える、核兵器廃絶へのシナリオを、聞いていただくつもりでした。しかし、残念ながら、私の胆のうがんの進行が思っていたより早く、昨年八月には、老人施設の一員として入所することとなってしまいました。広島へはもう行けそうにありません。
そこで、書面でではありますが、私の考えを聞いてください。
私たち、広島・長崎の被爆者は、あの被ばくの日から六〇数年間、国からのより多くの援護を求めてきました。被爆者活動としては、実装活動を通じて、原爆被爆者の悲しみや苦しみを語ってきました。また、世界のあらゆる所で、原爆被爆者への同情を求める活動もやってきました。被爆者を援護する団体には、ノーベル賞が授与され、世界全体が被爆者への同情を集める人と化しているようにも見えます。
しかし、核兵器を所有している国々は、核兵器の脅威を、もし使用されたら、地球が単なる星の一つになるだろうことを熟知しながら、自国の抑止力を維持するために知らん顔をきめつけています。
私は、核保有国の国民に、核放棄の意思が生まれ、民意となっていけば、その国の代表者の考えを変える力になるのではないかと考えています。
核兵器を使用した唯一の国、そして世界をリードするアメリカに、核兵器はいらないという民意が生まれたら、その国のリーダーであるアメリカ大統領もそっぽを向くことはできなくなるのではないかと思います。私たち被爆者が被害者意識に凝り固まることをやめ、アメリカに残っている加害者意識が薄らいだ時、初めて両者で平和を求める、共通の意識を持つことができるようになると私は信じています。そして、私は、無理は承知で、この考えについて、アメリカのホノルルで、話し合いを始めたいと願っていました。しかし、それも叶いそうにありません。
慰霊碑のもとに眠っていらっしゃる先輩諸氏に、被爆者活動を最後までできないことについて心からお詫びしたいと思います。
末筆ながら、どうぞ、皆様、安らかにお休みください。
中島 辰和
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