欄干はまだ修理されていない
舗装の亀裂は
人々の足で
そのするどい裂け目を
砂でうずめ
今日もあおい流れが
さかさまに橋の腹を
水に泛べる
また真夏がくる
トキワ橋と刻まれた
この橋は私にとって
私の弟の墓標
陽ざしにやけた橋の欄干に
腹をじかにつければ
その熱さは
七年間の時間をつらぬいて
私の胸に燃える
x x
弟が……
旋盤を握ったことがあるので
十八の歳よりはたくましい軀だが
例の子供っぽい餓鬼大将らしい顔を
大人のなかにころがして
疲れてねむっていたのだ
広島市、幟町、小学校の
臨時兵舎の二階に
あの日
防衛召集で銃と軍服をわたされ
夜は街角に寝ないで立哨し
ひるまはこの二階に
汗にぬれて
朝八時だから
やっと寝入ったところだろう
蠅が顔の上を何匹も飛んでいただろう
まるめて枕にした上衣から
昨夜立哨中おふくろと面会し
こっそりうけとって食べた煎り豆の大豆が
ポケットから床板に
いくつぶかころがっていただろう
七年前の八月六日の朝
ひろしまの街はずれの家では
おふくろが
今日は息子が帰ってくる日だからと
早く起きていそいそと
長男と次男は戦場へとられ
三男もひっぱられたが防衛召集なので
立哨している真夜中には逢えるのが
まだしも倖せだと
配給大豆はすくないので
ゆうべ煎り豆はすこししかやれなかったが
今日は闇で手に入れた小麦を煎って
帰ってきたら
ハツタイ粉をうんと喰わせてと
ほうろくの中の麦をさらさらと
さらさらとさらさらと
そのときなのだ!
弟は鼻つぶの汗を光らせてねむっていた
数十万の人々はみんな生きていて
おふくろは小麦をさらさらと煎っていた
ほうろくの中がぱッと光る
はッと息をのんだその後は
畳は裏がえり
戸棚が三間も家の中を飛び
虹のように窓々のガラスが散り
爆心地から三里のところで
六十のおふくろ
爆心地に近い臨時兵舎は
一瞬空中にもちあげられ
地上にたたきつけられ
火の海
血と死体と叫びと
焼けはだかの
男とも女とも
人間ともみわけがたい
人々のむれ
うち割られた左足を曳き
這いのがれる弟
ここで
そうだここでうごけなくなる
トキワ橋の
焼けた舗装のうえ
上半身だけで生きている弟
夜がきて朝となり
二日二夜
焼ける街を
爛れた人を
なにもかも
炎がなめた橋はやけて
弟の軀をこがす
x x
あれから七年
また真夏がくる
トキワ橋は弟の墓標
欄干にじかに軀をよせて
私は今日も弟と語る
ひき裂かれた亀裂
あおい流れ
この橋にも平和をおもう切なさがあり
何としても取りかえせないもの
弟の墓
じかに欄干に腹をよせれば
この生きている橋のぬくみよ
なにものをもとかした炎よ
私の軀の中に燃え上れ
数千度の熱地獄に
あがった叫びよ
生き残った人々の
こころにひきつげ!
こころからほとばしれ!
出典 原爆の詩編纂委員会編 『詩集 原子雲の下より』 青木書店 一九五二年 一八三~一八九頁
【原文中には、ジェンダー、職業、境遇、人種、民族、心身の状態などに関して、不適切な表現が使われていることがありますが、時代背景を理解していただくという観点から、原文を尊重しそのまま記載しています。】
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