国立広島・長崎原爆死没者追悼平和祈念館 平和情報ネットワーク GLOBAL NETWORK JapaneaseEnglish
HOME 体験記 証言映像 朗読音声 放射線Q&A

HOME体験記をさがす(検索画面へ)体験記を選ぶ(検索結果一覧へ)/体験記を読む

体験記を読む
表 梅雄さんの思い出 
田頭 昭真(たがしら てるみ) 
性別 男性  被爆時年齢  
被爆地(被爆区分) 広島  執筆年 2012年 
被爆場所  
被爆時職業  
被爆時所属  
所蔵館 国立広島原爆死没者追悼平和祈念館 
(私は三つ歳上、広島市安佐南区在住、有縁の方々から寄せられた情報を基に、この文を綴る)

表梅雄さんは、昭和五年一〇月一九日広島県沼隈郡神村(かむら)(現福山市神村町)で、表竹市・カズエの四男(第五子)として生まれる。

昭和一二年四月 神村尋常高等小学校入学
   一九年一一月 学徒動員(広島第二機関区)
   二〇年四月 国鉄(現JR)に入社
   二〇年八月 被爆
   三二年三月 山陽高校(普通科)卒
   三二年三月 高橋喜久枝さんと結婚(宇品町に新居)
   三七年七月 広島市東区戸坂に新築移転
   五一年一一月一日 妻 病死(四三才)
   六一年三月 国鉄退職
平成二三年八月二五日 没、院号法名 崇敬(すうぎょう)院釋唯聞居士
            墓地   生家の近く

参考

・妻と死別後、近くの専教寺(浄土真宗)へ熱心にお参りしていた
・娘二人が結婚してからは一人暮らし。淋しかったに違いない。
・その一方で娘夫婦や三人の孫の成長を大いに楽しみにしていた。
・また、書道の稽古や旅行などで心をいやしていたようだ。
           平成二四年四月       合掌

(被爆体験)  ・・・本人の手記より・・・

あのとき、私は仕事で国鉄の海田市駅にいた。

八月一〇日過ぎ、父に頼まれて被爆した長男表一夫(かずお)の行方を探すことになった。

広島城の東側にある広島第二部隊に行き、あちこち聞いているうち軍人らしい人が「多分大野浦の陸軍病院だろう」と教えてくれた。

すぐ大野浦の病院へ駆けつけて尋ねると「西小学校の講堂に設けられた臨時の病院では・・・」というので、一目散に小学校へ。

講堂をのぞいてみると、大勢の人が所狭しとゴロゴロ横たわっていた・・・この世の地獄・・・

やっと兄に出会えたが、嬉しさとまわりのむごたらしさで声が出なかった。

参考(筆者)

・一夫兄はその翌日(九月一日)実家に帰り、九月四日息絶えた。
・その後の治療・・・JR広島駅の北側にある鉄道病院で年数回ほど受診
・最後は胃がんのため約七ヵ月の治療の後病死

                         END 

HOME体験記をさがす(検索画面へ)体験記を選ぶ(検索結果一覧へ)/体験記を読む

※広島・長崎の祈念館では、ホームページ掲載分を含め多くの被爆体験記をご覧になれます。
※これらのコンテンツは定期的に更新いたします。
▲ページ先頭へ
HOMEに戻る
Copyright(c)国立広島原爆死没者追悼平和祈念館
Copyright(c)国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館
当ホームページに掲載されている写真や文章等の無断転載・無断転用は禁止します。
初めての方へ個人情報保護方針