故 檀上竹秀の妹 檀上佳以子
毎年の慰霊祭でステアコールの皆様が歌ってくださる一中の校歌鯉城の夕雨白く…はよく兄に聞かされたものです。兄の被爆当時国民学校五年生だった私はよく意味も解さぬまま、その歌詩を覚えました。慰霊祭でその校歌を聞く度に涙が溢れます。
あれから五十九年もの歳月が流れ、亡くなられた生徒のご両親もほんの数える程になってしまいました。
原爆投下直後に市内に入り兄を探し求めた父も母もすでに逝きました。偶数学級で次の作業への待機中に校舎の下敷になった兄は必死の思いで脱出し軍のトラックで漸く家に(当時瀬野在住)辿りつきました。探し疲れ、精根尽き果て帰宅した父は、兄の姿を見て、号泣しました。その様な父の姿はそれまで見た事がありませんでしたし今でもはっきり覚えています。
しかし生きて帰った兄も八月の末には、先に逝った級友の許へと旅立ちました。その辺の状況は今まで刊行された遺族の追悼文集に父母が寄稿していますが、多くの遺族の方々の追悼文は涙なくしては読めません。
追憶 昭和二十九年四月
週刊朝日に掲載された「原爆の中学生」 昭和二十九年八月
ゆうかりの友 昭和四十九年
星は見ている 昭和五十九年
日本の原爆記録 平成三年
等々に記されています。
戦後、私は教師となり幾度も国泰寺高校を訪れました。現在はすでに定年を迎えて居りますが、追憶の碑はいつも美しく清掃され、花が手向けられています。在校生の方々に心の中で感謝しつつお参りをさせていただいて居ります。毎年断える事なく慰霊祭を開催してくださる遺族会の大井様をはじめ関係各位学校当局の皆様に感謝致します。
父や兄には原爆死役者追悼平和祈念館にお参りすれば、いつでも会う事が出来ます。そして追憶の碑にお参りさせていただいています。
現在、世界では戦火が絶える事がありません。広島の惨禍を二度と繰り返さない為にも、私には何が出来るだろうかと考えながら、筆を置きます。
拙作ですが別紙漢詩を同封させていただきます。奇しくも現在私が師事している漢詩の講師は兄が一中で習った漢文の先生(太刀掛重男先生)を師とされる方です。
懐古
懐古 (憶八月六日)
閃光一瞬化灰塵
歳月回来八月嗔
学半兄消堂後草
涙新追憶独傷神
閃光 一瞬 灰塵と化す
歳月 回り来る 八月の嗔
学半ばにして 兄は消ゆ 堂後の草と
涙は新なり 追憶 独り 神を傷しむ
出典 『星は見ている 全滅した広島一中一年生・父母の手記集』(フタバ図書 昭和五九年・一九八四年) |