故 山本真澄の母 山本紀代子
生命とも思ひ守りし吾が男の子原爆死せしうらみは消えず
十年の月日はすでに近づくを忘れはつべき日はも来ざりき
歎異鈔今日もひらきて読みゆけど心にふれて来ぬは何故
得々と歌を作りてよしとせし事も恥ぢらる今に思へば
私の時間といふは何時ならむ逃避もしたき今日の心に
声低め夫と話すを子はさとく何の話かしつているといふ
勤務上の苦悩もあらむに一言も言ひ給はねば聞く事もなし
【原文中には、ジェンダー、職業、境遇、人種、民族、心身の状態などに関して、不適切な表現が使われていることがありますが、昭和二十九年(一九五四年)に書かれた貴重な資料であるため、時代背景を理解していただくという観点から、原文を尊重しそのまま掲載しています。】 |