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悲しみの母 
法貴 ミハル(ほうき みはる) 
性別 女性  被爆時年齢  
被爆地(被爆区分) 広島  執筆年  
被爆場所  
被爆時職業  
被爆時所属  
所蔵館 国立広島原爆死没者追悼平和祈念館 
故 法貴秀之の母 法貴ミハル

元気よく家の門を入りながら、「只今――お母さん、先生が、法貴君は疎開するのなら、家をあまり早く出かけるのは可哀そうだから、工場を変えてやろうかと言われたが、どうしようか」「そう、どちらがよいかね、でも、先生が親切にそう言って下さるのだから、変ったほうがよいでしょう」と云ったのが、運のつきでした。ああ、工場さえ休日でなかったら……と残念でたまりません。
 
あなたは、ほんとに真面目で、そしてやさしい心の持主でした。お母さんが身体の工合が悪くて寝ると、何時も枕もとで「お母さん、どうような……」とやさしい言葉をかけてくれていました。また、「お母さん僕がしてあげよう」とよく手助けをしてくれました。夜あまり物音が静かなので、心配でそうっと勉強部屋をのぞいて見たら、正しい姿勢で机についているのです。「もうおそいから寝なさいや」と言うと、「うん」返事をしたまま一生懸命やっているのです。終るとちゃんと整頓して、服もたたみ、その上にゲートルをきちんとのせて、枕もとにおいて寝ていました。いくら夜中でも、「秀ちゃん、空襲警報よ」との一言でさっと飛び起き、手早く身支度をして学校へ走って行くのでした。お母さんは、そのたびに可哀そうにもいじらしく思いましたよ。
 
八月五日、あの夜も、何時ものように張り切って出かけ、学校の勤務もおえて帰って来て、しばらくみんなで話して床についたのが三時過ぎでした。今日はさいわい、工場が休みだからゆっくり寝せてやろう、そして、私は畑に行って涼しい間に草取りをしてと思って、あなたの寝顔を見て頼もしく可愛く、そうっと小さいそばの布団を腹にのせたのが、最後でした。
 
原爆……ああ、なんというみじめな、むごたらしい、どうしてあなたがあんな悲惨な苦しみを受けなければならなかったのでしょう、私はかまどの火をたくのも、七輪に火をおこすのさえ……ああ、あの可愛いあなたが火にまかれて……と、そのたびに胸に五寸釘を打たれる思いでした。
 
お隣の奥さんが、「二階のこわれた下から、叔母さんと声がして、アラ秀ちゃんね、一緒に逃げましょうと、憲兵隊の土手まで上ったのですが……」収容所であまり傷もなさそうでしたが、元気のない声でした。「まあ、それからどちらへ向いて逃げましたか」と聞きましたが、それからは判らなかったのです。
 
収容所はみな探しました。血まなこになって探しました。ろくろく眠れません。朝、薄暗いうちから星をいただくまで、探しました。くる日もくる日も歩き続けました。やっぱり見つかりません。身も心もくたくたです。どこかにいるような気がして、もう一日探して見ようと出掛けるのですが、やっぱり判りません。一ヵ月経っても二ヵ月経っても、帰って来ません。やっぱり、あなたは死んだのです。私は、宇宙のすべてのものが呪わしく見えるようになりました。
 
アア、堪えられん。こんなつらい思いをするのなら、死のうか、ただ一人のあなたがいなくなれば私は生きる甲斐もありません。幾度か死を思ったことでしょう。夜中に飛び起きて布団の上で何時も泣きました。乗物の中でもよそ様の子を見て泣きました。
 
アア、夏はいやです。胸がつらくなるのです。あなたは小さい時から水泳が好きでした。「お母さんは、夏が来ると情けない、あなたが毎日泳ぎに行って、お母さんに心配させるから」と云うものですから、時には、風呂場でそうっとふんどしをしめた上に、シャツとズボンを着て、タオルを小さくたたんで手に握り、かくすようにして、ツ、ツーッと家を出るのでした。仕方のない子よと思っても、帰って来るまでは仕事が手につかないほど心配するのでしたが、顔を見たら安心して、叱ることも出来なかったのです。
 
炎天の夏が訪れるたびに、水泳する子どもを見なければならないと、私の胸もつらくやけて来るのです。夕方の静かな沖のかなたからポッカリ顔を浮べて、ニッコリ笑って、「お母さん――」と呼ぶ声が聞えてくるような気がします。
 
澄みわたった秋の空の、あの清い美しい月の中から、「お母さん――」とニッコリほおえんだ顔が浮ぶようです。なぜお母さんより先に、そしてあんなに早く、この世にいなくなったのでしょう。何時もあなたのことが胸から離れません。

   うたかたの世にあることの弱くして
       永遠に帰らぬ君ぞ悲しき
 
幼い時から心のやさしい持主でした。お母さんはあなたを叱ったことも、いやがることをやらせたこともありました。お許し下さい。でも私は、あなたに立派な人物として、社会に立って貰いたかったのです。それを、何よりの楽しみに、また頼りに思っていたのです。すべては無駄でした。やっぱりお母さんが悪かったのです。でも、あなたは怒らないで、やっぱり今でも、お母さんを護って下さるのでしょう。有難うございます。
 
八月六日の朝、目がさめて、また思いはくりかえされて悲しくなって来ました。

   夏の夜のはや明け初めて鳴く蟬の
       声さえ悲し原爆の朝

出典 『星は見ている 全滅した広島一中一年生・父母の手記集』(鱒書房 昭和二九年・一九五四年)一三八~一四一ページ
【原文中には、ジェンダー、職業、境遇、人種、民族、心身の状態などに関して、不適切な表現が使われていることがありますが、昭和二十九年(一九五四年)に書かれた貴重な資料であるため、時代背景を理解していただくという観点から、原文を尊重しそのまま掲載しています。】 

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